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ダメなデジタル化

 今回はちょっとITの話題。

 実家の電気代の支払いは振込み用紙でしたが(名古屋なので中部電力)、しばらく前に中電から封書が届いてて、来春くらいから、クレカや口座引き落とし以外は支払いにも手数料加算するよ、という通告だった。今はなんでも値上げ。
 それでネットのカテエネというサイトに登録して、そこから各種手続きをしてくれという話だったので、早速やってみた……というかやろうとしたら、IDの登録が面倒臭いのなんの。

 まずカテエネ登録の前に、TCIDというものを登録しないといけないらしい。そこには住所氏名等はもちろん、電力請求書のお客様番号を書いて……それで発行されるかと思いきや、セキュリティ確保のため、葉書で暗証番号を送るから、それを見て入力しろと(アナログ2段階認証)。これでまず数日待たされるわけです。

 届いた葉書の数字を再びサイトで入力して、さあこれでカテエネにログインできるかと思いきや、なんとカテエネのID発行にもまた封書で暗証番号送るって(w)。これ実話。
 封書で届いた二つ目の暗証入力して、ようやくカテエネにログインできた。
 一体誰がこんなぐちゃぐちゃの設計をしたのか?サイトもイラスト多用してはいるが、根本的に機能がわかりにくい。かなり駄目なWeb屋が作ったんじゃないか(雰囲気、イラスト以外は内製した?)。

 自分みたいなプログラマー上がりでもイライラする出来だから、一般利用者は怒って書類を投げ捨てるんじゃないか。というか確実にサポートのコールセンターは電話殺到してるだろう。
 ダメなデジタル化はいらぬ仕事を増やすよ、って話でした。
(中電も2回暗証を郵送してるわけで、これ全世帯にやったらどえらい金額だろう。もちろんそれは将来の電気料金に……)

12月の雑記

 年の瀬もだんだん押し迫って参りました。サイトの更新時期が来たので、自分の1年を振り返ってみたい。

 2017/12開設のこのサイト、最初はデモ曲の置き場でしたが、だんだんとお仕事をさせて頂くようになり、作曲家・音楽制作者として足場を固めてきました。

 なんといっても今年は7月のJASRACとの信託契約。結構春頃から準備やら事前の勉強、打ち合わせ等で忙しかったです、流石に。信託契約すると権利関係が大きく変わってしまうので、シミュレーションも欠かせませんでした。あともちろん契約に当たっては各種書類や印鑑証明なんかも必要になるので、そのあたりも動き回ってましたね。書類が揃っても審査があるので、それで落ちる可能性もありました。最低限音楽著作権について普段から理解・遵守していないと無理なので。(違法コピー万歳みたいな人はまず…というか絶対入れません)
 やはりこれだけの組織なので、加入に当たっては緊張しました。(ほぼ公的機関に準ずる団体と思います、まず所属されている諸先輩方が凄すぎる…。日本/世界の音楽著作権についての有識者会議・提言もバンバン行っている。ABBAのビヨルン氏も欧州代表として先頃シンポにネット参加してたらしい、日本側パネラーは都倉俊一先生)

 その後は、インディーズレーベルDew Ridge Recordsの立ち上げ、怒涛のリリースと、Ai Fields Recordsさんでお仕事させて頂いた作品のリリースなどで、あっという間に12月…。
 とりあえず作曲・制作だけでなく、リリース後にどう「売る」か、というマーケティングの視点も持つに至った1年でした。

 そんなこんなで、あんまり音楽プロジェクトACTiVATEではリリースできなかったので、来年はリベンジしたいと思います。とりあえず1/4にACTiVATEで新曲を出しますので。
 新年になってもガンガンいきますよ。

Paypalの大トラブル

 DTMで制作していると、ブラックフライデーは言うに及ばず、海外ショップのプラグイン&音源バーゲンがたくさんあるし、そんな時は支払いにPaypalを使う機会が多い。最近は国内ショップで買える物も多いが、まだ内外価格差があったりする。Paypalを使うとカード番号をショップに知られることなくカード支払いができるので、大変便利な訳です。銀行に準ずる国際決済機関のイメージですね。

 ところが、先日経験したトラブルが物凄かった。Paypalにあった資金の残高が、朝イチでログインしたらきっぱりゼロになっているんです。すわハッキングされたか、と思ったがどうも様子がおかしい。なんと勝手にWithdraw(払い戻し)されている、しかも自分の銀行口座に……。なんじゃこりゃ?前日操作を誤ったかと思ったが、どう考えても違う。やっぱり誰かに悪戯されたのでは、と心配になって、Paypal日本法人の窓口に電話してみた。
 外国訛りの受付に確認してもらうと、驚いたことにPaypal側が勝手にやりました、と言いやがる(w)。先日の規約変更読んでませんか?あれで当社が自由に払い戻しできるようになったんですよ、とのこと。取り消しもできないというし、そう言われちゃ引っ込むしかないんで、国内の銀行口座への着金を待ってたんですよ。しかしこれが一向に来ない。
 そしたら二日後。ネットメディアでニュースになってました。Paypalがシステムトラブルで一部の顧客の預かり金を勝手に払い戻しましたと。おい(w)。うちにも詫び状メールが来て、払い戻しは結局取り消し、Paypal口座に戻されました。もうしっちゃかめっちゃか。

 年末なのでPaypal側が何らかの理由で資金を持ち越したくない(税金対策?)のか、と思ったら全然違っていた。日本のメガバンクにも似たようなところがあるが、ちょっとこれは酷い。ここもあんまり信頼しない方が良いようです。(流石にこれまでクレカの情報が漏れた、って話は聞かないが……)

 早く国際決済で使えるステーブル電子マネーが出てきて欲しい。MUFG系のやつも実証実験ばっかやってて全然実用化の話が聞こえてこない。

 しかしこういうトラブルは誰かに相談できるわけでもなし、結局自分で解決するしかないようです。最後はお上(金融庁)に泣きつくか。

「これがわが社の黒歴史」ヤマハ編

 数日前夕方にTV付けたらNHKで流れていた番組、これってピアノや楽器類が映っているしヤマハじゃないか、と思ったらやっぱりそうだった(w)。NHK攻めてるなあ、まあこれに出られる企業は現在は絶好調なわけですからね。(今回2回目で、第一弾がバンダイだったらしい)

“総合楽器メーカー”の黒歴史から、今を生き抜くヒントを探る!
神田伯山のこれがわが社の黒歴史
11月23日(火・祝)[総合]後6:05
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=31753

 以下内容ウロ覚えなのでご容赦。

 電子楽器=エレクトーン(TM)の発売後、海外製半導体の品質の悪さに何度も泣かされてきたそう。そこでいっそ内製してしまえと、ヤマハの半導体事業が始まった。半導体技術の第一人者である西澤潤一教授に教えを乞い立ち上げ成功。電子楽器も高度化し、’80年代にはFM音源搭載のデジタルシンセサイザーDX7などのヒットで絶好調。(当ブログ読者なら皆さんご存知、もちろんヤマハ製のカスタムLSIが使われていた)
 このFM音源チップはパソコンにも採用され、特にWindows95旋風からのマイクロソフトとの協業で売れに売れた。楽器も右肩上がりだったが、それを遥かに上回る利益をもたらした。
 ここまで良かった。この時点で半導体事業をヤマハの主軸に据えようとしていたそう(既に少子化で楽器事業は頭打ちだった)。

 そこへ今度はインテルが、自社のパソコンにチップを組み込みたいと言ってきた。そこで800億円掛けて浜松に最新鋭半導体工場を建設したが……。稼動直前になって、インテルが「もう要らん」と。ソフトの高度化でチップがなくても高品質な音が出せるようになったから。
 さあ大変、他のメーカーを当たるも価格面で折り合いが付かず、半導体を供給していたセガなどのゲーム機に掛けたが、プレステとの競争に敗れてこれも駄目。結局工場で何も作るものがないまま、1年後に工場ごと売却。特別損失250億円、リストラ500人というヤマハ最大の危機を招いてしまう……。(インテル詐欺ってる! Intel Insane)

 当時は地獄だったそうですが、ここからどうやって立ち直ったかというと、それは意外な製品がきっかけでした。それは……携帯電話、ガラゲー全盛時代が始まろうとしていたのです。もう皆さんお分かりでしょうが、着メロの需要にFM音源チップがずばり応えられたのです。ある時期のガラゲーは全てFM音源チップ入りといっても過言ではありません。これでV字回復を遂げるのですが、さらに着メロそのものにもヤマハのビジネスが生かせたのですね。これだけで1000億円規模の商売だったらしい。
 この大事件を教訓に、ヤマハはチップの研究設計だけを行い、製造は他社に任せる、いわゆる「ファブレス企業」の走りになりました。また半導体事業は、今はネット回線用ルーター事業に活かされているとか。選択と集中は社是らしいですからね。

 ヤマハの社長がSGギターで「ギュウーン」なんてクランチ系サウンドでコード鳴らしながら登場したり(現社長は楽器プレイヤー)、なかなか楽しい番組でした。たぶん収録場所はヤマハの楽器ショールームだったと思う(笑)。

売れる要素とは何か

 何が売れるのか、どうやったら売れるのか、ネット時代→コロナ禍でますます五里霧中の音楽業界ですが。莫大なプロモーション費を掛けても今はもう「それだけ」では売れないってことは、皆様ご存知の通り。(まあその点は昔も同じだが、現代はいよいよその傾向が強い、ゴリ押しって言われちゃうしね)

 それに関連して、某大手レコード会社関連サイトのコンテンツで読んだ話。(なので、たぶん確度は高い…) 誰でも知っているレベルの、ある著名歌手。その人を担当したディレクターかプロデューサーのインタビューだったのですが、実は中々芽が出ず、デビューまで9社も音楽事務所の所属を断られたとか。それで次ようやく決まったのですが、デビュー曲からすぐ売れて大人気、その後紅白に何度も出場するようになった。
 後年のことを知っていると、これだけ売れる要素があるのに……と思ってしまうのですが、デビュー前はまだ磨かれていなかったかもしれないし、断った事務所もたまたま似たような歌手が所属していたのかもしれない。
 しかし9社断られても、あきらめなかったディレクターと作曲家は偉かったんだなあ、というのが正直な感想(もちろんご本人が一番凄いが)。原石とはいえ実力には絶対の自信があったんでしょうね。
 だから売れる要素を見抜くのは本当に難しいし、それができるのは並大抵の眼力の持ち主では無理、ってことでしょう。(そしてしつこく「営業」し続ける根性、粘り強さも必要)

 これで思い出したけど、ビートルズもデビュー前にイギリスの主だったレコード会社のオーディションを、「全て」落ちていますからね(w)。EMIが最後に合格させた、って話が昔は言われたけど、これは嘘で、なんと最初に受けたのがEMI。2周目で受かったというのだから(笑)、マネージャーにEMI側が忖度した可能性もある。(有力レコードチェーンの責任者だったので←リバプールだけで9店)
 これもビートルズの真価を見抜いていたマネのブライアン・エプスタインが偉かったんだなあ、ということですね。

 どうやったら売れるのか、考え続けて行動し続ける者だけが、答えを知ることができる(あるいは知る権利を得られる)ってこともかもしれません。

演歌は終らない

 現代演歌がムード歌謡や歌謡曲まで取り込んだジャンルになっていることは、以前少し書きました(なんせ後者二つは消えてしまった分野……)。そして演歌自体も、和服姿の歌唱が似合う伝統的な曲から、もっと昭和歌謡なんかに近いもの、お洒落アレンジなものも結構ある。みんな知らないだけで、音楽マニアが聞いても実は面白いんです。演歌歌手の皆さんの歌唱は非常に精緻で、僕らがイメージする「ボーカリスト」「シンガー」に一番近いのは、実はR&B系よりも、現代日本では演歌歌手ではないかと、自分は確信しています。幅広い曲調に対応できるところなんかは、正に。

(昭和の演歌でジャズ系のバックバンドが多かったのは、演歌歌手の精緻で極限の表現力を支えられるのは、テクニカルなジャズミュージシャンしかいなかった、という理由もあったでしょう)

 これだけ面白いジャンルなのに、なぜか時々、いやちょくちょくか、「演歌に親を●されたのか?」って位の人を、年代を問わずに見かけますね(w)。「演歌なんて……」「あんなものもう終り」「消えていく運命」と言いたい放題。
 なんなんですかね(汗)。演歌に彼氏彼女取られた? 演歌聞いたら背が3cm縮んだ? 演歌で金運下がった? きっとどれも違うでしょう。なぜか理由はわかりませんが、イメージだけで演歌を悪く言う人がいることは本当に不思議。

 思うにお笑い芸人が散々ネタにしてきたのと(宣伝にはなるが諸刃の刃)、主に’80年代以降のバラエティで演歌をバカにするのが一種のドグマになってしまって、皆マインドコントロールされているのではないかと。
 ちょうどバブルが始まる位の段階で、音楽も世の中も大きく変わったことは事実なので、その「変わる前」の世界に属する(あるいはミームが色濃い)演歌は、異質で時代遅れのものとして叩かれてしまった。それが、今もいる反演歌リスナーに強く影響しているように思えます。

 もう一度言いますが、現在演歌は(も)良い曲一杯あるよ。20代の歌手も出てきています。一度色眼鏡を外して、まずはサブスクなどで聞いてみることをお勧めします。J-POPにはない失われた歌謡曲の世界も、きっとそこで見つかるはずです。
(昭和歌謡がブームになっているようですが、やはりイマドキの曲にない世界がウケているのでしょう)

映画「グリーンブック」観た

 1962年アメリカ・ニューヨーク。有名クラブの用心棒トニーは、店の改装で一時解雇。そんな中、クラシックの黒人天才ピアニスト・シャーリーから依頼され、南部の最深部まで回るツアーに車で同行することに。予想通り酷い人種差別に遭いながら、雇用者・被雇用者の関係を超えて、徐々に友情を深める二人。なぜわざわざ南部で演奏するのか、その目的とは。

 典型的なロードムービーで、なかなか考えさせられる映画でした。これは実話を元にした話だそうですが、シャーリーは高学歴の上流階級、世界的ピアニストでホワイトハウスで何度も演奏したり、実際ケネディの友人でもある。住居はなんとカーネギーホールの上層階で、まさに宮殿(だが離婚して子供もなく孤独)。
 一方トニーはイタリア系で、住居はブロンクス、子供二人と夫婦仲は良く、血縁重視のお国柄らしく、いつも近所の親戚のおじさんおばさん子供が出入りしていて騒々しい。決して裕福ではないし、粗野で学もないが、人情味は溢れている。
 正反対の二人ですが、旅をしていくうちに、実はイタリア系もアメリカ南部では差別の対象であることがわかってきます。字幕だと「このイタ公め」なんて罵られるシーンが2回ある。その度にトニーは相手を殴ってしまうのですが(笑)、これだけ理不尽なら仕方ないな、と納得の展開です。

 結局シャーリーがわざわざ南部を回ったのは、苦難を超えて演奏することで人間力や音楽家の魂に磨きを掛ける目的だったのですが、ツアー最後の最高級レストランのステージで、その後演奏するというのに、黒人であることを理由に飲食を断られ(なんとトイレも使えず)、ブチ切れて契約無視で帰ってしまう。トニーは大慌てで止めるのですが彼の意思は固く……。
(6年前黒人で最初にやってきたナット・キング・コールも、難癖をつけられ客に暴行されたという、曰くつきの場所だった)

 その後二人が入った黒人OKの庶民的なレストランで、R&Bのバンドとシャーリーがジャムセッションするところは最高。ここは映画のハイライトでしょう。

 日本も全然他の国のことは言えませんが、世界的ピアニストを最高級の会場に招待しながら、黒人だからと差別はきっちりするという、本当に理解不能なことがまかり通っていたんだなあ、というのが自分の感想。
 これは1962年の話ですが、今だって残念ながらトランプみたいな奴はいるんだし、まあくわばらくわばらといったところ。(アジア系差別の話もちょっと映画で出てきて、シャーリー邸の使用人がアジア系)

 一体、今のアメリカで黒人音楽を全て止めてしまったら、どれくらい業界的なビジネスが縮小するか。5割では済まないでしょう、7-8割くらいか。ラップなんて独擅場だしね。ジャズ、R&B、ブラコンに限らず、少なくともポピュラー音楽は全て黒人音楽の影響下にあるといっても過言でない。ちょっと音楽理論を勉強するとすぐジャズの語法が出てきますしね。
 きっと差別や社会問題は、つかず離れず、考え続けることが大切、なんでしょうね。

10月の雑記

 スタートレックのカーク船長が本当に宇宙へ行った、というニュースを見てちょっと感動。90歳の俳優ウィリアム・シャトナーがブルーオリジン(アマゾン創業者のペゾスの作った宇宙ベンチャー)のロケットで無重力を満喫ってやつ。無料招待だったらしいですね、ペゾスはやっぱ商売上手い。これ世界中に打電されましたからね。実はベゾス自身も前回宇宙へ行っているんだけど、あんまり話題にならなかったようだ、ヴァージングループに先を越されたので。Wシャトナーはスタトレ映画の出演はもちろん、トレッキーネタのコメディ映画にも結構出てて、面白い人です。ぜひ長生きしてほしい。
 BBCの女性リポーターが発射前「彼はFinal Frontierに旅立つところです」と言っていて思わずニヤリ。

 プレイリストのWebレイアウトを色々と試行錯誤してたんだが、Apple Musicの埋め込みプレイリスト(*注)を貼ろうとすると、接続拒否されてしまいます。曲単品の埋め込みはできるんだけど。どうもApple Musicにログインしていないと(つまりIDがないと)、接続拒否される仕様らしい。アマゾンやSpotifyは大丈夫なのに、意外とセコい。よく言われるけど、アップルは囲い込み戦略だから、アップル製品を使っている人にはいいんでしょうが、他からは使いづらいこと多々あり。ネットは多様性の世界だから、そのあたりは商売より接続性を高めてほしいもんです。
 とはいえ、この件はYoutube Musicがもっと酷い(w)。プレイリストも単品埋め込みもできません(そもそもメニューにない)。どうなってんだ。ただ単品の方は、Youtube本体から指すと、お馴染みYoutube動画形式で埋め込みはできるようだ。あんまり本気で商売してないのかな?

 世間ではコロナ終息……みたいなムードも来てますが、世界の物流やサプライチェーンはまだメタメタで、全然正常に戻っていないのが実情のようです。油断しているとかなり危ない気がする。この冬の日本で第6波とインフルのダブルパンチになったら最悪だ。もう完全に大丈夫……って時まで今のライフスタイルを続けるしかないですね。
 あまりにグローバリズムを推進しすぎた結果が、いまの状態なのだとしたら、やはり産業を国内に呼び戻すしかない。小泉・竹中政権以降の、大企業だけ超絶優遇、行き過ぎた個人主義&自己責任論は完全に間違いでした。コロナで、社会は色々な人々の努力で回っていて、助け合いが必要不可欠だと皆わかったと思います。経済効率ばかり推し進める世の中にしたのも小泉政権以降ですからね。自分は次の選挙はちゃんと日本社会を良くしてくれる政党や候補者に入れたいと思います。

(*注) 正確にはこの場合、プレイリスト形式で楽曲が表示されるアーティストページ。メニューには埋め込みリンクが出るが、貼ってみると接続拒否

モデルナ2回目接種

 世間で言われている通り、2回目接種後に発熱・倦怠感来ました。打ったその夜は良かったのですが、明けて午前中にだんだん熱が上がり出した。最初ちょっと熱っぽいな、で36.8度。これくらいか……と思っていると、どんどん上昇。37.2 37.5 37.8……この段階で完全にヤバイと気付き慌てて解熱剤飲む。それでも効くまで2時間くらいかかるのですね。38.3 38.5 38.9……夕方にこれくらいで、どうしようかと思っていると、ようやく薬が効き始めて38.5。その後更に37.5で楽に。こんなに熱出したのは2-30年振り。しんどさをすっかり忘れていた。その後安静にして、念のため寝る前も解熱剤。翌朝平熱でひと安心です。しかし噂通り倦怠感は丸一日あった。
 結局身体の免疫反応だそうで発熱しても安心感ありますが、皆様もモデルナ2回目はどうぞお気をつけて。仕事や学校はできれば休んだ方が良いと思います(当方自営なのでその点は有り難い)。

 2回目でこの反応じゃ3回目は(あるとして)どうなるのか不安。できれば他の種類のを打ちたい。
 しかし、接種後の安心感は物凄い。気分的にかなり楽になりました。といってまだライフスタイルを変える気はないが。

映画『ブルーノート・レコード』観た

 アマプラで出てきたので早速観てみた『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』、ドラマかと思ったらドキュメンタリーでした。言わずと知れた世界的なジャズレーベルの名門ですが、以前も書いたがドイツ移民のアルフレッド・ライオンが戦前のアメリカで設立したのですね。(映画では共同作業者としてフランシス・ウルフも登場した)

 といっても当時の関係者に綿密に取材して……という体裁ではなく、現在のブルーノートレーベルのミュージシャンやプロデューサーの証言を中心に、昔の記録(主に写真)を掘り起こして歴史を振り返っていく、という感じの映画でした。現在のブルーノートはヒップホップにも対応していて、DJとも積極的に契約して、彼らにはなんとサンプリングが「公式」に認められていたりする(w)。昔の音源が使い放題ってことですね。

 初めて知った面白い話もあって、最初期のブルーノートは本当に小じんまりとしていて、なんと録音はエンジニアのルディ・バン・ゲルダーの自宅で行なわれていた(自宅スタジオではなく自宅)。リビングを改造して壁を作って金魚鉢(コントロールルーム)にして、普通にゲルダーの両親も住んでいるんだけど、録音のときは静かにしてもらっていたらしい(w)。そこへミュージシャンが楽器を持って来てたんですね(たぶんピアノはあったんだろうが、ドラムスはどうしたのか…?)
 そのうちだんだん忙しくなるわ、バンドの人数も増えるわで、ゲルダーが自宅の隣に自費でスタジオを建てたらしい。だからブルーノートは自社スタジオというものは無かった。

 証言の中で、何度も登場するのが物凄い数のリテイクの話。20回という数字が普通に登場します。完璧主義者のライオンは、気に入るまでそのくらいのリテイクを要求し、ミュージシャンもそれに従った。絶対の信頼関係があったのでしょう。(ギャラも1回につきで払っていたはず) アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズだったか、当時のメモを見ると27回リテイクした曲があり、採用テイクはなんと25回目。
(正直ここまでやるとアドリブもほぼ「造り」になると思う。譜面を見て演奏するのと同じ)

 現在のブルーノートの若いミュージシャンによるオールスターセッションの録音風景も映っていて、特別ゲストでハービー・ハンコックとウェイン・ショーターも参加、当然二人のインタビューもありました。
 ショーターさんはある時マイルスとフロントに立っていたら、「演奏に飽きないか?」と囁かれたらしい。「もう普通の演奏はいいだろ?(新しいことやろうぜ)」って。あと気付いたが、ハンコックさんはなんでも「いい話」にしてしまう傾向があるな。HH話法とでもいうべきものが確かに存在する(w)。
 この映画の白眉は、マイルスの物真似するショーターさんでした、こんなに面白い人だとは思わなかったですわ。

(ブルーノートもずっと磐石だったわけはなく、一度破綻しているんですね、これがなんと「サイドワインダー」が売れすぎで資金繰りが悪化……という、小出版社でもよくあるパターン。その後大手の傘下に入り、活動停止の時期もあるが、再び復活という流れ)

 初期のブルーノートは思っていたよりずっと小規模な制作体制だったので意外でした。そしてこれはむしろ、現在の宅録全盛時代を先取りしていたようなものですね。本当にゲルダーの家のリビングで録っていたのだし。
 口幅ったいですが弊社も心持ちを強くしました。