月別: 2018年7月

デモ曲公開・夏だアイスだボサノバだ

 なんと怒涛の更新です。まあたまたまデモ曲完成が重なってしまっただけではありますが。

 では早速いきましょう。当社比待望の本格ボサノバ曲です。
 タイトルは「甘えて…」

 今回歌っていただいたのは、大変表現力のあるボーカルのHARUさん。かなり難しいのではないか?と思いつつご依頼したのですが、見事に歌いきって頂きました。
 この曲は、歌としては音域もそんなに広くないし、多少ブルーノートが入るくらいで技術的にはそんなに難易度は高くないのですが、歌の内容から、これをどう表現していくか、というところが格段に難しい。言うまでもなく、ここは単なる歌唱技術とは違う、高度な表現の領域になってくるので。
 いや~、ずばり来ましたねこれは。

 楽曲としては、ボサノバなのでお洒落な一時転調や、多少の非機能的コード進行も挟みつつ。今回、かなり後になってからパーカッション(シェイカー、ボンゴ)を入れたのですが、その時点から楽曲が見違えりました。やはりこの手の曲でパーカッションは命。

 しかしマスタリングは結構苦労して、音圧を上げるとバランスが崩れたり、楽器の音色が気に入らなかったり、エンディングが気になったりして、ミックスに戻ったりその前に戻ったりで、結局7回やり直す羽目に(普段は3回位)。まあこんなこともある。ぶっちゃけこの暑さで集中力が落ちてるんだなこれ、この段階って異常な集中力が要るから。
 ひとりでやっていると、こんな時は便利です。

 なおなぜ「夏だアイスだボサノバだ」かというと、その心は…「あま~い」からです。(笑)

宮沢賢治とチェロの話

 「忘れないうちに」シリーズ第2弾。といっても、元は2~3年前にラジオ深夜便で聞いた話に、記憶があいまいなところを調べ直して書いてます。
 あ、宮沢賢治、自分は普通に好きなので。

 賢治童話の代表作のひとつである「セロ弾きのゴーシュ」ですが、賢治自身もチェロ(セロ)を弾いていたことは広く知られています。
 このチェロですが、若き賢治が父親と仏教観で対立して、家出同然に岩手・花巻から上京した時に持っていったそうですが(すごい大荷物だな)、実はその時は全然弾けなかったそうですね。

 東京で印刷所に勤めながら下宿先で山のように作品を書いていたのですが、最愛の妹・トシ重病の報を受け、いよいよ帰郷するという時になって、初めてチェロを習ったのですね。そんなドタバタした時だったので、なんと習った期間はたったの3日!(おい) しかも2時間×3回といいますから、ほぼ調弦やら楽器の持ち方やら、基礎中の基礎しか教えられていなかった。
 この習った相手というのが、新交響楽団(後のN響)のチェロ奏者の方。実は同じ楽団の方にオルガンを習っていて、その流れで頼んだらしい。しかしどえらい方々に習っていたのだな、たぶん資産家である宮沢家の繋がりがあったのでしょうか。
(今回、いきなり上京して賢治はどうやって宿を見つけたのだろう、と思い調べたら、結局宮沢家の旧知の方に下宿を世話してもらったと。某宗教団体にいきなり住み込みで働かせろ、などと言って断れてますからね。心配した親からお金が送られてきたり、やはり賢治はドラ息子?w)

 このチェロ奏者の方も、3日でチェロ教えろと言われかなり面食らったそうですが、この岩手の青年にどこか見所があると思ったのでしょうか。最大限の厚意で対応し、自分も時間がないためなんと朝6時から2時間、3日連続で賢治を自宅で教えたそうです。
(こうしてみると、賢治は東京時代を暗い時代として記していたけど、周囲の人たちはかなり暖かく見守っていたのだなあ、と。印刷所の作業がつらいのは当たり前だし)

 こうして賢治は岩手に帰り教師となるのですが、このチェロはもともと、友人だった藤原氏という方と一緒に買ったのですね。この方も音楽教師になりましたが、賢治のチェロは新品で最高級品でしたが(名古屋の鈴木バイオリン製)、氏のものは中古でなんと穴が開いていました。

 教師時代は、給料で当時まだ珍しかったSPレコードを買いまくり、お陰で花巻のレコード店に本社から感謝状が来たとか、英国ポリドール社から直接賢治のもとへも感謝状が来てたとか(笑)、いろいろな話があるようです。
 そんな訳で、当時の教え子などの証言によると、賢治のチェロはお世辞にも上手いとはいえない、ゴーゴー鳴っているだけの、まあ雰囲気演奏であったと。
(理想は、たとえば羅須地人協会などで、かっこよく演奏を披露したかったらしい)

 さて、ここからが数奇な話になります。
 晩年、賢治がいよいよ病となって自宅で静養していると、藤原氏が訪ねてきました。実は近々、盛岡で演奏会があるのだが、そこでチェロを演奏することになったと。それを聞いた賢治は、「おれのを持ってけ」と、穴開きチェロとの交換を申し出た。死期が近いことを知っていたのかもしれません。氏は感謝しつつそれを受け入れ、賢治のチェロを弾いて演奏会は成功したそうです。

 賢治はその後亡くなってしまい、形見となったチェロが藤原氏に残された。氏は戦前に編まれた賢治全集の編纂にも、わざわざ東京に行って参加しているそうです。ただ戦後は、花巻も空襲にあっていますので、住むところを無くしてしまい、荒れ地の開墾に尽力し、音楽からは離れていた。そんな厳しい生活の中でも、賢治のチェロを大切に守り通していました。
(ちなみに、宮沢家にあった穴開きチェロはというと、残念ながらこれまた空襲で焼失しています)
 そしてとうとう自分も高齢になり、いつ何があるかわからないからと、このチェロの返還を宮沢家に打診、むろん宮沢家はこれを快諾します。

 このチェロ、今どこにあると思いますか?
 花巻の宮沢賢治記念館にいくと、ガラスケースの中に大切に飾られていて、誰でも見られるようになっています。賢治ファンなら「うおお、これがあの」ってなる迫力。なんせ賢治が実際に弾いていた楽器ですからね。fホール(お髭型の穴のことね)の中にはイニシャル「K.M」の書き込みもみえます。そして隣には寄り添うように、妹トシのバイオリンが……。
 なんすかこれ? これまた映画化決定じゃないですか! (T_T)

 自分もかなり昔に一度見てきましたが、あのインパクト大の展示の裏に、こんな物語があったとは、とあらためて感激ですわ。(当時は、トシのバイオリンはまだなかったような気がした) 「本物」の持つ迫力はやはりすごいもんがあり、まあファンにとっては国宝級の逸品ですわ(むろん文学史的にも貴重)。
 もし賢治がチェロの交換を申し出なかったら、いま僕らはあのチェロを見られなかったのかと。

 文学者をエピソードで語るのは間違いだけど(やはり作品が一番なので)、賢治の場合は周囲の人たちの行動が本当に優しく暖かく、これほど大切にされた文学者は他にいないのでは、と思えてくる(そしてますます生前ブレイクしなかったことが謎になる)。

 ね? ……というのが、ラジオ深夜便の話でしたが。
 今回調べてもうひとつ驚いたこと。

「セロ弾きのゴーシュ」、この童話は東京時代でも教師時代でも羅須地人協会時代でもない、晩年の病床のうちに書かれたものだったのですね(自分は東京時代かと思ってた)。
 さて、あの童話をよく思い出して下さい。街はずれの小屋に住むゴーシュの持っているチェロに、なにか特徴はありませんでしたか?

 ……そう、穴が開いているのです(!)。野ネズミの子供が中に入って「治療」を受けるので、あれは実はfホールではありません。普通に「穴」です。(自分は実は、fホールのことかな、と思っていた。高畑勲のアニメではどういう描写だったかな、うーん)
 ということは、これ、藤原氏の穴開きチェロを見て着想されたのではないか? そんな説があり、どうも正解らしい。(物語の後半、「ゴーシュがその孔のあいたセロをもって」とはっきり書いてある)

 驚きいったことに、あの名作誕生の裏には、これまたこんな偶然のドラマがあったのですよ。もし賢治がチェロを交換してなかったら、あるいはゴーシュの話はもっと別のものになった、あるいは存在しなかったもしれない。

 いやあ、もう。泣かせます。困ったよこれw
 そして、賢治逝去のあと、この童話は発表されるのですよ。

 残念ながら、この穴あきチェロは、前述のように空襲で焼けています、宮沢家も被害にあったので。賢治の弟の宮沢清六さんが、もう火が付いて煙が回っている蔵の中に命がけで飛び込んで、なんとか救い出したのが生原稿・未発表原稿が一杯入った賢治のトランク。さすがにチェロまでは無理だったようです。

(最近、この賢治記念館のチェロを、世界的な演奏家ヨーヨー・マを招へいして、花巻のコンサートで弾いてもらった、って情報を見つけた。もう現実が完全に物語を超えている…)

Eテレ『旅するイタリア語』での大発見

 忘れないうちに書いておきたい話。

 風呂上りの深夜、Eテレの語学番組が意外に面白くて時々眺めているんですが(大人向けの内容、ビジネス旅行実用とか)、その中で「旅するイタリア語」という番組。
 何回か見た限りでは、どうやら生徒役の男性と案内役のイタリア人(イケメン)がイタリアを実際に旅して、様々な場面でイタリア語を使いながら学ぶ、という内容。
 これがまあ、旅の行き先が観光地ばかりだから、風光明媚なシーンのオンパレード。しかもレストランで食事しいの、デザート食べえのと、なんとも羨ましい限り。使うイタリア語も「これはいくらですか?」レベルの簡単なのばかり(笑)。
 イケメン案内役(日本語も上手)がこうですよ、と言った通りに生徒役の男性が言って、ロケ先のイタリア人がそれに答えて、ハイよくできました、みたいな。
 正直これで仕事になるとは、世の中うまい話があるなあ、くらいに思ってました。

 この生徒役の方が、なかなか渋いナイスミドルの男性で、最初はカッコいいから役者さんかな?と思っていました(竹中直人似?)。毎回イタリアンファッションも決まっています。しかしそれにしては若干カメラ慣れしていない様子で、特に教えられたイタリア語をリピートするときに、なんだか少し不審な動きをするのです(w)。なんだろうなあ?と。

 いつも途中から見て途中で切ってたから、出演者チェックできず、それでつい先日、番組のホームページを見たのですよ。そしたらなんと、「バイオリニスト」の肩書が(!)。ぬおお、そうなのかと、スマホだったのでお名前までは憶えてなかったのですが、これは是非次回しっかりみようと思ってたら、すぐ翌日、深夜やってました。

 どうやら総集編らしく、「アマルフィ」(有名観光地)編の中盤。男性とイケメンが狭い坂道をぐんぐん登っています。アマルフィ、古い港街で、険しい岩山を背景にした旧公国、街には古い教会があったり、現在は観光地施設が海岸近くに集中していて、でもまあその光景って、岩山の中腹からみると、ほぼジブリアニメか世界名作劇場に出てくる欧州の街そのまんま。石造り、シック、コンパクトで美しい。まあ街並みのセンスのいいこと。
 で、岩山に張り付くように民家やホテル(これは旧修道院らしい)があって、一般の人はこの山の手に住んでるらしい。

 それはいいとして、この時男性の肩に黒いバックがあって、これはバイオリンケースが入っているのでは? ということはこれから演奏が?と、作曲勢としては超・色めきたちました。

 岩山をかなり上まで登った先にあった目的地は、ふもとのレストランで紹介された、石造りの古い小さな家。ほんと崖っぷちに張り出していて、「これ大丈夫か」と不安になる造り。
 イタリア語でイケメンが呼びかけると、出てきたのはジェシカおばあちゃん。これまたジブリ作品に出てきそうな、かわいい感じの顔くしゃくしゃな方で、歳は70後半から80、もしかしたらもっといってるかなあ? 年齢不詳です(笑)。
 イケメンが「こちらの男性はジャポネ(日本)から来たんだよ」というと「知ってるよ。ロンドンの隣りだろ?」と。全員あっはっは、となりつつ。

 家の中へ通されて、ワインをふるまわれて(昔、周辺ぶどう畑だったそう)、そのお礼にと、男性がバイオリンを取り出しました。やはり!
 このシーン、三人はバルコニーに出ているのですが、そこから見るとアマルフィ海岸の全景、街から湾のすべてが見渡せて、もうマリンブルーの大スクリーンのよう、絶景としか言いようがありません。口あんぐりですわw 二人も驚いていると、「この街はすべてあたしのものさ」などと洒落たことを言うばあちゃん。イタリアの年寄りはイカスぜ!

 で、イケメンとおばあちゃんがテーブルに座り、男性がバイオリンを弾き始めるのですが。これがもう、また筆舌に尽くしがたい、素晴らしい演奏で。何かのセレナーデのような曲かなあ、実際は2曲くらい演奏したらしいけど、たぶんラジカセの音楽をバックに、非常に優しい感じの曲を披露してました。ステファン・グラッペリというお洒落バイオリンの元祖にして最強最高の演奏家がいましたが、そちらの流れを汲むジェントルで包み込むような演奏。まさに四本の弦が奏でる魔術です。
 このアマルフィ海岸をバックにした演奏があまりにハマってて、自分も見ながら「なにこれ?なにこれ?カッコよすぎ」と。すべてが響きあい符合し、あふれんばかりのイタリアの陽光の中に、バイオリンの音色が溶け拡がってゆく。この瞬間、この時空は永遠の世界につながりました。

 ジェシカおばあちゃんも、目をうるませ、何度も頷き、顔をくしゃくしゃにして喜んでいるんですね(お年寄りは嬉しい時万国共通の顔w)。イケメン氏はもっと大変で、あまりに音楽に入り込んでしまい、茫然としています。頬には涙の跡も(本人それに気づいてない様子)。
 で、演奏が終わって、ありがとう、みたいに終わるのですが、それからが大変。主にイケメンが(笑)。後ろを向いて涙を何度も拭うのですが、感動のあまり番組どころではない様子。
 家の中に戻ってからも、「どうしよう、涙が止まらない」と。それをおばあちゃんが、本当に素晴らしい演奏だったね、「Tanto, Tanto」と慰めるように言うのですが、この時の視線がまた優しくてね。息子か孫くらいの歳だろうしなあ。
 語学番組でこんな素晴らしい演奏が聴けるなんて思ってもみなかったので、本当に仰天ものでした。

 白状すると、自分も泣いてました(笑)。番組のナレによると、カメラさんも音声さんも泣いてたそう。オイそこにいた全員泣いてるよ! まあ少しでも音楽がわかる人なら、これはそうなります、それほどの演奏です。「なんじゃこりゃあ!」(c)松田優作、映画化決定! てかもう映画そのものですよ、「アマルフィのバイオリン弾き」。

 で、慌てて番組ページを見てお名前を確認しました。バイオリニスト「古澤巌」氏。不勉強で存じ上げておらず恥じ入るばかりですが、調べてみると日本を代表するような大ベテランです。経歴ものすごいですよ、もちろん何度も洋行されてるし、クラシックからポップスの分野まで幅広く精力的に活動されています。
 むろんメジャーでCDも出されています。レーベルは葉加瀬太郎主宰のHATSレコード、なんと自分の好きな「カシオペア3rd」と同じ。HATSは現代日本音楽界の良心か? これは早速聞かねばなるまい、と。

 HATSサイトのプロフィールによると、大学時代に葉加瀬氏と一緒にジプシー音楽バンドをやっていた。しかも欧州時代に、誰であろう、さっき書いたステファン・グラッペリとミニアルバムをレコーディングしたって。えええ?いや、ええええ!?(しかもこれ、ラストレコーディングだったらしい…)。そんな日本人がいたとは……というレベルの経歴です。まあ絶句です。そりゃあ、演奏がものすごいはずですわ。伝説のグラッペリ直伝ではないですか。オソロシイ…。

 こんな音楽家が現代日本にいたとは、って自分が知らなかっただけだけど、日本という国は実は音楽環境は大変良い国なんですね、今でも。いわゆる商業音楽・流行歌のメジャーがダメになっただけで、それ以外は全くレベルは落ちてない。それどころか……って話ですわ。

 蛇足ながら、古澤氏は、やけにダンディだと思ったら俳優業もやられていて、NHKの大河ドラマにも出演されてたそうw そして、イタリア語をリピートする時の不審な動きの正体もわかりました、あれはバイオリンを演奏している時のステップと同じでした。つまり音楽を奏でるかのように、イタリア語を喋っていたんですね。カッケエ人はどこまでもカッケエのだなあ。

 大変勉強になった番組でした(同じ番組で、もう放送済だけど、イタリアのバイオリン工房を訪れた回もあったらしい。見たかったなあ)

「UVI Orchestral Suite」の使用感

 ちょっと前から導入してフルオケ系の曲で使っている標記の製品ですが、かなり良い感じです。(最近の自分のそれ系の曲は全部コレ)
 といっても、実はガチ・クラシックの音じゃなくて、かなりPOPS/劇伴の方にターゲティングしてある印象。だから、DTMで本格クラシックをやりたい!という人は、買うと後悔するかも? 自分はまさに軽音楽系なので良いのですが。

 具体的な音の方向としては、かなり印象派っぽい感じかな? 全体的に濃密で色彩感が強い雰囲気。上品で華やかです。やはりこんなところはフランスっぽいなーと思う。(UVIはフランスのデベロッパー)
 よくあるハリウッド系オケの音とは一線を画してますね。

 お値段お手頃で容量が少し抑え目ですが、決して安かろうナントカでなく、かなり考えて奏法とか厳選してある感じで、悪い印象はありません。ストリングスなんてクラシックでしか使わないようなアーティキュレーションはない代わり、Run Up/Run Down(駆け上がり・駆け下がり的な?)なんてのがあったりする。割り切って劇伴なんかに使ってくれ、ということなんでしょうね。

 その証拠に、そっち方面で出番の多いパーカッションは種類も奏法もかなり充実してる。下手をすると単独製品より奏法が揃ってるのもあったりする(笑)。
 弦や管のソロの音も、いかにも劇伴なんかでメロを弾いたりすると合うような音。奏法は必要最小限ですが。

 クワイア(コーラス)まで入っていますが、男声・女声・混声、そして少年合唱まで入ってる(!)。これ、かなり力の入った出来で、少年合唱だけ奏法がたくさんあったりする。非常に美しい収録です。

 何もいつも全部一緒に使う必要もなく、単独のパートだけ使ってもいいし、かなり使い勝手は良い。
 今思い出したけど、こういうPOPS系の音って、ボストン・ポップス・オーケストラみたいな、あっち方面を狙っているのだろうな(→ボストンフィルがPOPSや映画音楽なんかを演る時の別名。日本でも新日本フィルが別名で色々録音してたりしますね、昔は世界中でこういう企画が一杯あった)
 まさにそういう系統の音で、なかなか良いところを狙ってきたなあという印象。正直UVIはMelloとかシンセサンプルのが酷かったんで、かなり心象悪かったんだけど(笑)、これで結構見直しました。