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ピアノスタイル考

 ジャズピアノ、ロックのピアノ、王道クラシックと、ピアノもジャンルによってプレイスタイルは千差万別ですが、歌伴ピアノ(主にポップス)のジャンルも、歴然としてありますね。
 洋楽ならすぐ思い浮かぶのは、カーペンターズのリチャード・カーペンター。元々は器楽系のピアノスタイルだったのでしょうが、カレンのバッキングでエレピの方も含めて、非常に素晴らしいプレイを聞かせてくれました。兄妹で自作曲なので当たり前ではあるんでしょうが、出しゃばり過ぎず、かといって埋もれてしまうこともなく、ボーカルをプッシュし楽曲を締めています。
 そういえば、エレピはメジャーなフェンダーローズを使わず、ドイツ製ウーリッツァーを、カレンの声質に合わせてわざわざ使っていました。裏方、バッキングに徹する歌伴ピアノの鏡といえる行き方でしょう。
 で、歌伴ピアノの人が器楽曲を弾くと、これがまた非常に面白い響きになって、インスト専業の人とも違うし、なんというか正に歌心のあるプレイで、ハマると非常に素晴らしかったりします。

 しかし先頃Youtubeの演奏動画で拝見した、歌伴ピアノが主な領域の方の、クラシックの名曲。これはちょっとタッチの印象が硬かったかな? あ、でも練習って書いてありましたか。この曲、譜割りは簡単なのに、意外と演奏として成立させようとする難しいようですね。皆が知っているし、録音もたくさんある。ピアニスト独自の物を出すには却って苦労するはずです。
(でも先頃のアルバムでのピアノは良かったと思いました。正しく、歌伴スタイルのスイートでポップな完成度)

 そういえば、ピアノを弾きながら歌を歌う……ってスタイルのシンガーソングライターも居なくなりましたね。(まあサブスク用にコンプでペチャンコになったその種の曲は聞きたくないが。まさかそんなところでもサブスクの悪影響があるかも?)

On Vacation / Till Bronner & Bob James

  This album is much better than I expected. 🙂 I thought it would be Jazz, but in fact it’s AOR/Fusion. It surprised me and brought happiness here.

  Probably nowadays we have to call it as “Smooth Jazz” or like so, but feel much traditional memes of AOR/Fusion. And it would stand near POPs high quality.

  Space, room, empty or interval — I really don’t know how we should call exactly, but there is beautiful “rest” between notes playing by 2 soloists. Probably it can take by only older great players.
  Rich and Relax, Bright and Transparent, fine combination of Trumpet and Piano/Rhodes. Even synthesizers Mr.James playing, made me glad.
(Mr.H.Mason takes good backing play in calm mood)

  When I found extra-grade arrangement during album, after seeing a booklet, knew Mr.James did it. (It is same experience when hearing Karen Carpenter’s solo album) This is really a magic, in the future I’d like to understand the secret, I wish.

  Meanwhile, Were these vacation photos taken in Sicily Italy? I found 2 god fathers. Oh, you? 🙂

  “On Vacation” must be heard by good listeners more! Excellent album.

カーペンターズ「遥かなる影」を聴く

 今回はカーペンターズのオリジナルアルバムを徐々に聞いていくシリーズ、第何回目だっけ。そろそろいくかと、大ヒット作「遥かなる影」を聞きました。

 到底2作目とは信じられない出来、もうこの時点で彼らの音楽は完成していたんですね。原点とかそういうんじゃなく、もうグループとしての音楽性が高いレベルに到達してる、固まってきてる。恐るべき新人だったといえるでしょう。
 有名な話だけど、アレンジは全てリチャード・カーペンターがやっていた。これはA&Mレーベルオーナーのハーブ・アルパートが許可を出したから。こんなのは前代未聞でしょう。

 そのアレンジだけど、当時斬新だったと思うけど、クラシカルな楽器、オーボエやフルートなども取り入れ、アコースティックでありながらポップな、そして重厚でゴージャスな世界を作り出すことに成功しています。もちろん弦や管も入れています。みんなが思い浮かべるカーペンターズ・サウンドですね。
 また、カレンの声質に合わせて、エレピは当時一般的だったフェンダーローズではなく、ドイツ製のウーリッツァーを使用、渋い色彩感を醸し出しています。曲によってリチャードは生ピアノも演奏。
 アコ楽器を大フィーチャーしているだけに、非常に美しい音楽的ダイナミクスがあって、ぶっちゃけ耳が全く疲れない。やっぱり音圧戦争は害悪でしかなかったのではないか。

 今の曲と当時の曲でかなり違うなあと感じるのは、コーラスワークの存在感ですね。これはカーペンターズだけではないけど、当時はかなり多声コーラスを楽曲の随所に取り入れていた。もうマルチトラック録音が一般的だったので、カレンとリチャードが多重録音でコーラスまでやってしまう。
 今はここまでがっつりとは入れない曲が多い。このあたりは流行り廃りかもしれませんが。

 ベストトラックはやっぱり「遥かなる影」かなあ。あとカヴァーだけど「ラブ・イズ・サレンダー」も良かった。逆にワーストはビートルズカバーの「ヘルプ」(笑)。だって曲調が似合わないんだもん。
(その「遥かなる影」で、リチャードが落ちサビあたりで少しピアノをミスるんだけど、このテイクがそのまま採用されています。これはもちろん他の演奏が良かったからでしょう)

 アルバム最後の「アナザーソング」は事実上インストだけど、これは元々インスト出身の兄妹の面目躍如。ドラムは当然カレンでしょう(Wikipediaで確認、カレンでした)。なんと楽器同士のバトルまであります、これは必聴だなあ。この曲を入れたのは二人の意地かもね。カレンという人は、なんとドラムが本業でボーカルは片手間だったんですからね、元々は。

 この作品で全米1位の大ヒットを記録するんだけど、そりゃそうだよな、って納得の内容でした。アメリカンポップスのひとつの雛形を作り上げたともいえる、非常な良作でした、まあ今更ではありますが。

(「アナザーソング」ですが、英語版Wikipediaに、ヘンデルの「メサイア」のコード進行を取り入れている、と書いてある(!))

Please Mr.Postman

 先日、ふとカーペンターズの曲のことを思い出し、まさかPVはないよなあとYoutubeを調べてみたら、なんとそれらしきものが出てくるじゃないですか。

 でもまだ1970年代中期だし、確かにチラホラPV作られていたのは事実ですが、これはよくあるフェイクPV(ユーザが勝手に作ったもの)じゃないかと疑いながら見ていたんです。ところが、カレンとリチャートが映るところで、カレンがちゃんと曲に合わせて歌っているところから、どうやら本物らしい、と気付きました(確証はないが)。

 それにしてもディズニーランドかよ……カレンがミッキーマウスやドナルドダックと手を繋いでランラン歩いてるよ(w)。たぶん西海岸にある本家ディズニーランドでしょうか。夢の国だけに風景はあんまり変わってないから、つい最近撮影されたといっても信じてしまいそう。
 ……にしても、これはあんまり曲と合ってないよなあ。なんか、USPSの兄ちゃんとカレンが歌いながら踊るPVをどこかで見た気がするが、ただの妄想か(w)。

 この曲、歌唱もアレンジも素晴らしいし、どう考えてもカーペンターズのオリジナル曲ですが、なんと元は英国グループの曲。それを初期ビートルズがカバーして、そしてカーペンターズも、という流れ。これを超えるカバーは絶対出てこないと思えます。
 歌詞も可愛いですよね、これ。女の子が彼氏からの手紙を待っている曲。メールの時代では成立しない内容だなぁ。

面白バンド、カーペンターズ?

 久々にカーペンターズのアルバムの感想、「PASSAGE」という1977年発売オリジナル作品です。ネタバレ前に(後述)、実は「Two Sides」という曲を目当てに買ったのですが、これが大当たり。参加ミュージシャンは驚くなかれ、リー・リトナーとジェイ・グレイドン。二人ともアコギを弾いているのですが、ぐっと抑えた甘いプレイ、素晴らしいとしか言いようがない。フュージョンとAORが最も新しく勢いがあった時代の、二人のキーパーソンのツインギター。カレンの歌声も後期なので最高に深みがあり、更にもう2本Eギターがアドホックに入ってくるんですが、まあシングルカットしなかったのが不思議なくらいの曲。カントリー風のAORといえるんじゃないかな、これは。

 カーペンターズは活動拠点がLAだったので、やっぱりLAのミュージシャンと交流があったのですね。これは嬉しかったなあ、カレンもドラマーとしてもかなりの腕前だったので、全盛期の彼らをバックに歌えて相当発奮したんじゃないかな?
 とりあえずこの1曲だけでお釣りがくるので、あとのことは目を瞑ろうという気になります(……そうなんです)。


 さて、ここからネタバレですよ。知っている方は知っているんだろうけど、このアルバム、リチャード・カーペンターが悪い意味でイタズラしまくった作品で(笑)、いやほんと、とにかくヒドイ。

 実は、自分はこれを今年の1月1日に聴いたのですが、とにかく元日からとんでもない目に遭いました。思えば去年の元旦はボズ・スキャッグスの「MIDDLE MAN」を聴いていい意味で腰を抜かしたんですが、今年は悪い方(?)で……。

 まず1曲目。聞き始めたら、なんか曲の定位がおかしいのです。ステレオじゃなくモノラル、それも完全なモノじゃなく、微妙に音の広がったモノラル。完全モノならそういう曲かと思うんですが、これじゃ、あれ?おかしいな?ヘッドフォンの不良かな?となる。それで何度もプラグを抜き差しして、曲聞いてるどころじゃないですよ。
 ヘッドフォン叩いてみたり、コードをくねくねさせてみたり、それでも直らず、そうこうしているうちに1曲目が終ってしまうわけです。で、2曲目。いきなり定位が普通のステレオに戻ります。……ん?
 あっ!やりやがったな、リチャード! なんと、ミックスでわざと擬似モノラルにしていたのです! な、なんちゅうことさらすねん。元旦からプラグ抜き差しして間抜けな心配してたこっちの気持ちは? ……ということです(笑)。ね、酷いでしょ(はぁ)。

 たぶん発売時は、世界中の音楽ファンが騙されたと思います。特に当時はアメリカを中心に大型ステレオコンポブームだったので、世界のオーディオファンがスピーカーやアンプの故障かと、ケーブルの具合を見たりスイッチを入り切りしたでしょう。それで2曲目で騙されたと気付くのです(笑)。リチャード、なんちゅう悪人や。
 これで終わりかと思っていると、これがね……。

 純然たるクラシックのような、男性声楽によるワーグナー風のオペラが始まったり(さすがに後半はカレンが出てくるけど、フルオーケスラ曲)、これなんとミュージカル「エビータ」のカバーなんですね。このオケはLAフィルだそう。(Overbudget Philharmonic=予算オーバー交響楽団という酷いクレジットになっているw)

 DJがラジオでリスナーと電話していたら、なんと、相手がワレワレハウチュウジンダ、だったりして(本当にこういう曲、ドラマ風。カバー)、映画「未知との遭遇」もこの近辺の年だったかな?まあ、しっちゃかめっちゃかな内容。よく発売できたなこれ、と心底あきれる。

 歴代のアルバムの中でもアメリカではかなり売れなかったらしいけど(笑)、それまで頑張ったからA&Mもご褒美代わりだったのかも。逆にジャぱんとエゲレスでは結構売れてしまったらしい……おい変態島国いい加減にしろ(笑)。両国とも性質の悪い音楽ファン多いな、すげえわ。

 ちょっと思ったが、これはビートルズにおける「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」にあたるアルバムじゃなかろうか。カーペンターズがこんな“ふざけた”バンドだったとは、ますます自分の中の評価が高まりました。名曲だけのグループじゃないですね、音楽マニアや作曲勢の皆さんなら、ぜひ聴いて欲しい作品です。

 自分にとっては、もうビートルズに肩を並べるような大きな存在だなあ、あきらかに。
 そのビートルズも悪ふざけという面ではかなりのものだったけど、プロデューサーが行き過ぎたやつは止めたはずです、当然。カーペンターズはリチャードがプロデューサーだから止める人がいないんだこれが(笑)。今回はプロデュースとアレンジに専念、楽曲は外注またはカバーだけ、思い切ったことにしてます。
(念のため、このアルバムはカレンも共同プロデュース)。

 フルオーケトラをバックにカレンが歌う曲もあと1曲入っているので、いわゆる名曲好きな方も楽しめます。

(いやもう、ビートルズでもここまで酷いイタズラはしてないぞ… ←しつこい)

カレン・カーペンターの悩み

 カーペンターズのことでまた興味深い記事が出てたのでメモ的に書いてみます。

カレン・カーペンター ~母に引き裂かれたスーパースター~
https://www.elle.com/jp/culture/celebphotos/g26463935/carpenters-karen-carpenter-story-as-a-working-woman-190315/

 スライドショー形式+短い文章で15ページあるのでちょっと読みにくいけど、カレン・カーペンターは母親の(今でいう)モラハラにも苦しんでいた、という面に焦点を当てた記事。(スマホで読むと切り替えが少ないので読みやすい)

 カーペンター家は敬虔なキリスト教信者一家で、特に母親は信仰心が篤く保守的であり、女は仕事なんかしないで早く家庭に入るべき、という思考の人だったらしい。カレンがあれだけ世界中で認められたのに、母だけは最後までカレンの音楽の才能をガンとして認めなかった、ということのよう。
 またドラマーとして天賦の才があったが、リチャードや周囲の人たちは、ボーカルの方により比重をおきたがり、後期はボーカル専任となっていた。これも大きなストレスだった。
 マスコミに太っちょと書かれたりした結果、拒食症となったのは周知の事実ですが、にもかかわらず激しいエクササイズを欠かさなかった、強迫観念となってたのですね。

 以前もここに書いたが、リチャードが睡眠薬中毒で入院している間、カレンは単身ニューヨークに赴いてソロアルバムを制作します。ただその出来が良いとはいえず、発売中止が決まったのと前後として、かなり年上の実業家と電撃結婚します。どうも一種のヤケッパチ結婚だったようで、これも母親の強い要望(早く結婚して家庭に入りなさい)を受け入れたからだったのですね。
 そんな訳でカレンは早く子供が欲しかったようですが、なんとこの実業家、パイプカットしており子供は作れなかったと(!)。しかも事業が上手くいっておらずカレンから1500万円も借金する始末。グループのツアーで家庭生活らしいこともほとんど出来ぬまま、1年で離婚となる寸前(カレンが離婚届にサインするその日)、カレンは衰弱して、静養中の実家で亡くなります。

 記事の最後に葬儀の写真が出てきますが、カレンの棺の横に立つリチャードの表情が痛々しい、皆沈痛な面持ちです。アメリカでも世界でも驚愕の大ニュースだったので。

 それにしても、この記事の写真にもあるが、拒食症となってからのカレンは、本当にびっくりするほど痩せていて、ひと目で健康でないとわかります。死の直前は30kg台だったそう。
 そもそも、これだけ長い間あちこちでカレンの写真を見てきたが、1枚として太っている写真というものがないんだなあ。誰が太っちょと書いたか知らないが、昔の印刷の加減で、横に引き伸ばされた写真を見て書いたのではないか?
 アメリカの芸能マスコミの口の悪さは有名らしいので、適当に書き飛ばしたのかも。それこそ1980年頃ビリー・ジョエルが言っていたことですが、エルヴィス・プレスリーもマスコミの悪口を気にしすぎて、最後は心を壊してああなってしまったと(「だから僕は一切悪口を気にしない」とか。当時の新作「グラスハウス」がロックンロールだったので、ドラッグで頭やられたとか色々言われてたもんなw)
 この頃のアーティストは(いや、今も、ですが)みな真面目で純粋だったのだよなあ、と思う。カーペンター兄妹は、日本で出版された日本語の記事さえ翻訳して読み、評判を気にしていたそうなので。

 今回また考えさせられました。(男はフラフラしていてもいいけど、女性アーティストは結婚・出産のこともあるし、色々大変だなあ、と) カレン・カーペンターは現代ではもう抽象化された大スターだけど、当時を生きた一人の女性として様々な悩みがあった。

 まあこうなってくるとやはり、カレンのソロアルバムを失敗させたプロデューサーの罪は本当に重い。これが成功していたら全てが上手くいっていたかもしれないのに。いい加減しつこいが、ため息が出ます。

小説「カーペンターズが生まれた日」

 妹さんの名前はカレン、そして、お兄ちゃんの名前はリチャード。ごく普通の二人はごく普通にバンドを組み、ごく普通にコンテストで優勝しました。でもただひとつ違っていたのは、妹はタムを偏愛するおかしなドラマーだったのです

 1966年のある日、アメリカ合衆国カリフォルニア州、ロサンゼルス郊外の一軒家。絵本のような造りのこの家に、カーペンター兄妹は両親と暮らしていた。
 リビングのドアを勢いよく開けて入ってきたのは、妹のカレン、おてんば盛りの16歳である。
「あー、やっぱりここにいた。お兄ちゃん」
「なんだよ、いま忙しいぞ」
 そう答えたのは、兄のリチャード20歳だった。ピアノの前で譜面を広げてペンでコードを書き入れている。
「新しい曲書いてよ、曲! タムがドコドコするやつ」
「またかよ、この前書いてやっただろ」
「あんなんじゃ足りないよ、もっとドコドコするやつがいいの」
「パートごとのバランスというものがあるんだよ。わがままばかり言うな。お前はいつも曲全体が見えていない」
「むうー! ケチ」
「……睨むなよ、ブスになるぞ」
 カレンは動転した。
「は、はぁ!? も、もう! あ、あーあ、わたしもっと優しいお兄ちゃんが欲しかった! 意地悪な人じゃなく」
 そっぽを向いたカレンに、
「――ああ、ところでさあ」
 リチャードはピアノから向き直ると、打って変わって猫撫で声でいった。
「ちょっと相談したいことがあるんだが? わが親愛なる妹よ」
 満面の笑みにたじろぐカレン。
「なに!? この人どうかしちゃったの?」
「今度メジャーレーベルにデモ曲送ってみようと思うんだが」
「うん」
「それでさあ、やっぱりメジャーで勝負するには、ボーカルが要ると思うわけよ。いまおれたちインストだろ?」
「うん、そうね」
「そこでカレンさん、ボーカル担当してくれませんかね」
「えーっ? イヤだよ、ボーカルなんてしたらドラム叩けなくなるじゃん」
「こうやって、」
 リチャードはゼスチャーした。
「マイクブームを回り込ませて、口のところに持ってくれば歌いながら叩けるだろ?」
「いやだよ、ちょうどタムのところにマイクくるじゃん! タムの邪魔だよそれ」
「そこをなんとか」
「お兄ちゃんが歌えばいいんだ! 鍵盤なんだから、いくらでも歌えるじゃないの」
「やっぱりポップスなら、女性ボーカルの方がウケがいいんだよ。ぜひ可愛いカレンさんの美声をだな……」
「こんなときだけ褒めてもだめ。わたしは歌いませんからね!」
「……あー、タムがドコドコする曲書こうかな~」
「う」
「すっごくタムがドコドコして、ドラマーは気持ちいい曲なんだけどな、おしいなあ~」
「な、なによそれ、やり方が汚いわ、お兄さん」
「残念だな~」
「ちょ、ちょっと。本当に、タムがドコドコするの?」
「するよ」
「ずっと、イントロからアウトロまでドコドコする?」
「する」
 カレンの目の色が変わってきた。
「ふ、ふーん……じゃ、じゃあ、一曲だけ歌ってあげてもいいかな……。デモ曲だけだよね?」
「ああ、デモ曲だけな」
 そう言ってうなずくリチャードの顔は、まんまと妹に一杯喰わせた詐欺師の笑みであったが、まだハイスクールに通うカレンには、それが見抜けなかった。
「グループの名前は、おれたちの苗字からとって、THEがつかない『CARPENTERS』にしようと思う。音楽の”大工さん”さ」

 こうして、ポップスの歴史に名を残す兄妹デュオが生まれたのである。


 ……などという完全な作り話(笑)。実はカレンが歌うきっかけは、ベーシストのジョー・オズボーンの自宅スタジオで、リチャードがバイトで鍵盤を弾いていたとき、偶然見学にきてたカレンがジョーに勧められて、だそうです。それまで兄妹の頭の中には、カレンの歌というオプションはナッシングだったんですね。

 なんだこれ、と思われたでしょうが、カレンがタム大好きなドラマーだった、という話を読んで、ホワンホワンしてどうしても書いてみたくなり。(Youtubeを掘ると、本当にカレンがうれしそうにタムを乱打してる動画が見つかったりします)

 以上、新春お年玉スペシャル的な何か、でした。たまにはこういうのも読まされるよ、ここは。

リチャード・カーペンターのプロデュース力が結晶「TIME」

 カレンのソロを聞いたので、次はいよいよ兄リチャード・カーペンターのソロ1作目「TIME」を入手。
 これが非常に味わい深い作品で。5周くらい聞いたけど、聞くほどに魅力が増すワンダースルメ感覚。
 世間的には、カレンが亡くなったあとはパッとしなかった人、という扱いかもしれないし、このソロも評価されているとはいえない現状でしょうが、音楽マニアとか制作をやっている人間には、堪えられない内容でした。

 1曲目・2曲目あたりは、王道80年代サウンドみたいな、ミックスでスネアが強エコーでバーン、キックドラムがドンの、ベースもタイトで大き目、キラキラピカピカなドンシャリサウンド、リバーブもレキシコンーみたいな、そんな感じの曲ですよ。シンセも入ってきたりね。1曲目なんかボイスのサンプリングも使ってますからね。(このアルバムは1987年発売)

 ……で、やっぱ滑ってるんですわこれは(w)。いや、楽曲の出来はそれはいいですよ。まあ例えるなら高校で優等生だった真面目君が、大学デビューでお洒落トレンディ野郎にイメチェンして大失敗みたいな(←我ながらイジワルか?)。
 なんとなく「ぼくのかんがえたさいきょうのAOR」感が漂う。

 うん、もしかして昔聞いて挫折した人がいたら、この最初の2曲で止めた人かもしんない。それくらい浮いてる。で、ライナーを見ると、この2曲は実はリチャード作曲じゃないんですね。その意味では、ご自身もこの手の曲は得意じゃない、という自覚があったのかも。(アレンジはすべてやられてます)

 そして3曲目でようやくリチャードのバラード曲、女性ボーカルはダスティン・スプリングフィールド。ここで一挙にああ、これはカーペンターズの流れから進化してきた楽曲だ……という雰囲気になります。

 4曲目、これも80年代的な、リチャードの一人多重録音によるアカペラ曲。後半、リチャードのピアノが入ってくるのですが、それと一緒にフリューゲルホーンの音が聞こえてきて、ドキッとします。この16小節ほどのソロのまあ素晴らしいこと。まさか?と思ってライナー見たら、やっぱり! ハーブ・アルパートでした。社長美味しいところ持ってくなぁ、最高じゃないか。

 5曲目「TIME」、リチャードのピアノをフィーチャーしたインストの小品。これが実にお洒落70年代フィーリングで良い感じ。それこそ、ちょっとクレイダーマンを思い出す出来かもしんない(w)。

 ちょっと前後するが6・8・10曲目再びリチャードのボーカル曲、そして7曲目はディオンヌ・ワーウィックのボーカル曲。すべてミドルテンポ~バラード調で、まさに作曲家リチャードの真骨頂。

 さて問題は9曲目ですが……。これがね、一見かなり元気でティーンな感じの女性ボーカル曲……ですが、前述の二人とは違うようで。ライナーみたら、歌「Scott Grimes」とあって。ああスコットね、そういう女性名があるのだろうな、と思ってググったら。
 なんとれっきとした男性(笑)。え!って感じ。これ言われなきゃ(言われても)絶対男性に聞こえない。当時15歳の新人らしいけど、フェミニンで凄いわ。実はライナーの巻頭でリチャードはこの人について、非常に面白いアーティストで大きな期待を持っている、などと書いてる。
 この曲、ただでさえキーが高いのに、なんと後半で半音上へ転調するんですよ。一種の音楽的ユーモアだよね、まさにハードル上げた。

 歌詞がまた面白くて、どうやらカレンがアイドル化して、みんなの心の中に勝手に棲み始めたことを揶揄するような内容なんです。兄貴として実は複雑な心境だったということか(笑)。
(日本だと、カーペンターズはほぼ100%音楽性で評価されてるんですが、海外ではアイドルとしてウケていた面が大きかったのかも?と時空超えて透視)
 まさかこんな斜め上からのクスグリを入れてくるとは、本当に予想外。プロデュース力の勝利ですね。
 まあこれを青春真っ盛りの15歳男子が爽やかに「女声」で歌うのだから、もう非常に面白いとしか。いやはや。

 全体的に見て、これはアーティストとしてより、プロデューサー・リチャードの仕事を前面に出したアルバムといえそうです。ゲストボーカル3人だし、そもそもソロアルバムでこんな構成って他に例がないでしょう。
 その意味では「自分」をもプロデュースしてるんですが、こうなるとメタ的で面白い。
 
 全て聞いたあとでは、4曲目のハーブ・アルパートとリチャードのデュオの掛け合いの部分、ほんとに短いですが、この楽器同士の「会話」が、このアルバムの白眉かもしれません。これがあるとないとでは印象が全く違う。それくらい重い。
 カーペンターズを見出したアルパートは様々な思いがあったと思うし、それがジャズでもメキシカンでもない、フリューゲルホーンの「歌心」に結晶してます。怖ろしいほどの表現力。

 そして、レーベルオーナーが自ら「演らせろ」と言うわけがないから、これは起用したリチャードのプロデューサーとしての勝利でもあります。

 色々な意味でスペシャルなアルバム、1985年6月にレコーディングが終わり、ミックスダウン~完成が87年7月という、完璧主義者リチャードが磨き上げたアルバムです。
 ご興味のある方は、何かの機会にでもぜひ。自分自身は、音楽制作の様々な点で、非常に大きな示唆とインスパイアを与えられました。

(書き忘れてたが、バックはカーペンターズのレギュラーバンドで固めています。正に鉄壁)

(更に蛇足ながら「Scott Grimes」さんですが、現在までアルバム2枚、歌手としてはあまり成功しなかったが、役者として成功して「ER緊急救命室」にも出てたらしい。いいオジサンになってます)

リチャード・カーペンターと小林明子

 「リチャード・カーペンター」で検索していたら、意外なアルバムがヒット。小林明子の「City of Angels」が、なんとリチャードのプロデュースなんですね。1988年だから、カレンの死後5年。声が似ている(?)からとダメ元で依頼したら、デモが気に入ってもらえてOKが出た、とのこと。
 当時はバブル時代でもあり予算が今より潤沢だったのは確かですが、これは素晴らしい展開。

 間違いやすいけど、ダイヤル回して電話したのが小林明子(実はしてない)で、小さな家を建てた(建ててない)が小坂明子ですね。そもそもヤングメンは電話とダイヤルがもう結びつかないな……わからない人はお父さんお母さんに聞いてみようw

 早速入手して聞いてみましたが、良質なポップスに仕上がっていて、オプティミティックでとてもいいアルバムでした。半分くらいは英語詩の曲です。サウンドは80年代と70年代をミックスした感じで、さすがリチャードのプロデュース。あんまりAORな感じがしないのは、R&B色が薄いからかな?
 バックはカーペンターズの元レギュラーバンドで固め、アンサンブルは鉄壁です。鍵盤はもちろんリチャードで、バッキングコーラスとしても参加。作曲は小林さん自身、リチャード、海外の作曲家と様々で、アレンジはすべてリチャード。
 レコーディングはA&Mスタジオを始め米国数ヵ所で、ミックスダウンはA&Mスタジオで行われました。なんとも贅沢な企画だなあ。

 小林明子さんにとっても、このアルバムはもちろん非常に大切な1枚になったようで、このあと渡英して結婚し音楽活動を続けており、折に触れてカーペンターズの曲を取り上げているらしい、と今回知った(wikipedia情報)。

 このアルバムの中で日本語詩と英語詩が混じった曲が何曲かあり、日本語詞を書いたのは「Reiko Yukawa」……誰であろう、今日本の音楽業界でもっとも元気と噂される、湯川れい子先生ではないですか!w
 さすが、道理で詩が深いと思ったよ。

 実は、って知っている人は知っているんだろうけど、小林明子を世に知らしめた大ヒット曲「恋におちて」(ダイヤル回すやつね)も湯川先生の作詞なんですね。洋楽に精通してらっしゃるし、実際他に考えられない人選です。

 話をリチャードに戻すと、これまでも海外の著名プロデューサーに依頼した日本人アーティストがいましたが、往々にしてどこかツボがずれてて「ん?」てな出来上がりだったりして。でもリチャードはガチでした。全部ズバッとハマっていますね。やはりこの人は名プロデューサーだと思う。

 本当に日本と縁が深い人です。そもそもこれだけカーペンターズをちゃんと評価できるのは、日本の音楽ファンは誇っていい。それがしっかりリチャードにもわかっているんだろうなあ。

 リチャード・カーペンターの力量を再確認した2018年初秋でした。

(追記:小林明子さんは、シンガーソングライターであると同時にいわゆる作家でもあり、当時数々のアーティストに楽曲提供されていますね。不勉強で今回知りました)

リチャード・カーペンターの功績

 鍵盤の世界3大リチャードとは、

・リチャード・クレイダーマン
・リチャード・カーペンター
・リチャード・ティー

である。いや、鍵盤プレイヤーのリチャード率って結構高くないか?とふと思って。プログレで名を馳せたリック・ウェイクマンも、もちろん本名リチャードだし。でも、欧米では昔からある名前だから、日本でいえば「太郎」「ケンイチ」みたいなもんですか。
(リック・ウェイクマンは新作出したばかりで、今世界ツアー中らしいですね。しかし全曲ピアノ+オーケストラとか、すっかりクレイダーマン化しとるやん。すべてのリチャードはこうなる運命か?w)

参考 http://rollingstonejapan.com/articles/detail/28710

 ウェイクマンはおいといて、リチャード・カーペンターの話です。今回一連の記事で調べているうちに、面白いサイトを見つけました。ユニバーサルミュージックの公式サイトらしいけど、質の高い洋楽の翻訳記事が一杯。そんな中でカーペンターズについて書かれた記事。

考えられている以上に、カーペンターズが凄かった理由:ブライアン・ウィルソンと比較される完璧主義者のリチャードの功績
https://www.udiscovermusic.jp/stories/carpenters-2

 彼らはソフトロックとかAORとか、多少変なことも書いてあるけど(この辺りは欧米のロック評論家の意見かも)、驚くような事実が発覚。

 前身となったリチャード・カーペンター・トリオは、なんとインストバンドだったのですね。ピアノ、ドラム、ウッドベース(とチューバ)という構成。ドラムはもちろんカレンで、ベースは友人。このバンドは1966年ハリウッドボウルでのコンテストに優勝。この時、リチャードはまだ10代後半です(!)。ひええ。しかもなんですかこの尖った編成は(この演奏ぜひ聞いてみたいけど、残ってないだろうなあ)。
 リチャードはバンドのサウンドを「ロック・チューバ」と自称していたらしい。

 でもさすがにこれでは売れないと自覚していたようで(w)、メジャーと契約するためにポップスのデモを録音、フルートに合わせて16歳のカレンが歌う曲だった。

(他のサイトの情報だと、デモはあちこちで落ちまくったが)、最終的に当時新進気鋭のA&Mレコード設立者、ハーブ・アルパートの目に止まった。
 こうして1969年デビューアルバムが発売されるが、すでにこの時点でリチャードは「アレンジを自由にやっていい」という、新人としては絶対あり得ないような裁量を与えられていた。
(ハーブ・アルパートの眼力もものすごい、才能のある奴には自由にさせた方が、そりゃいいから。その後の成功をみたら、いかにこれが正解だったか。ビジネス的にもA&M幾ら儲けたんだって話だよw)

 さらにこんな記述も。

リチャード・カーペンターの完璧主義は、スタジオからライヴへと引き継がれた。彼はコンサート前、楽器用やヴォーカル用のマイクのバランスを調整するのに、自ら1時間を費やしていたものだ。通常ならそれは、サウンド・エンジニアに任せる仕事である。

 (まあ、ベストではあるが、こんなことしてるから睡眠薬依存になったのかも?)

 カーペンターズはカバー曲も多いけど、これもリチャードが発掘した曲だったそう。
 その他、記事中でリチャードの革新的なアレンジ手法についても述べられています。

 リチャードは、カーペンターズの専属作曲家であり、アレンジャーであり、そしてプロデューサーでもあった。
 考えてれば当然なんだけど、カーペンターズは二人の共同作業で成り立っていたグループであり、これまではリチャードが過少評価されすぎていた。少なくとも功績の半分はリチャードのものです。
 フィル・ラモーンですら、カレンのプロデュースに失敗しているのだから、実兄というアドバンテージはあるにせよ、リチャードの音楽家としての資質は巨大なものだった、といえると思います。

 リチャード・カーペンターの研究は、自分にとって今後の大きな宿題だなあ。
 それにしても、カーペンター兄妹がインストからスタートしていたとは。不勉強で知りませんでしたが、やはり音楽的に優れている人たちはインスト出身が多いのですね。