月別: 2019年12月

産みの苦しみ?

 以前長編小説を書いていて思ったことは(さすがに小説はモノになりませんでしたがw)、完成が近づくにつれて書くのが難しくなる。それは、それまで書いてきた内容が重くのしかってくるわけで、それに矛盾しないよう最も似つかわしいラストが必要になってくるからでしょう。極端な話、最後まで書き終わったあとの推敲や直しも非常に難しい。全体を見て適当でないところを修正するということなので。無論、何が適切なのかということは、自分で判断するしかない。(あるいは編集者がやるか)
 こういうのは、ソングライティングも同じかもしれませんね。また全体をみて……というのは、アーティストさんのカラーや目指す方向まで分かってないといけないから、最終的にはプロデュース作業ということにも繋がる。プロデュースが難しいのは、そんな理由でしょうか。もちろんデキる方はセルフプロデュースになるわけです(今の時代は、だんだんそうなってきてますね、録音も宅録だったり)。

 そういや自分は、Aメロ~Bメロ~サビまでワンコーラス分全部作ってから、イントロを作り始めることが多いです。「こういう曲があるので、イントロはどうするか」という逆算で作れるからですね。これも全体を見られるからやりやすい訳で。まあイントロ最初に思い付いたらそのまま作るけどw

 曲作りって、それこそ和音の構成音みたいな細かいところから、曲全体といった大きなところまで、つまりミクロからマクロまで、常に行ったりきたりしながら考えないといけないので、独特の意識や思考法が養われますね。これは実際に音楽を作り始める前まではわからないことでした。
 そりゃクラシックみたいな交響楽の作曲が難しいわけですよ、細かいところと大きなところの落差が非常に激しいから。単純に曲も長い。もっとも、前衛音楽でない限り、クラオケの常道的な語法もあるそうですね。某SGゴースト騒動のとき、音大の教授の方が、助手が代作する部分も多いですよ、ってバラしてました(w)。

 まあ今はDAWでオーケストラでさえ鳴らせる時代だから、ハードルは下がっているといえますね。昔の作曲家は本当に異常な特殊能力者だったと思います、確かにオケがいつも傍にいる等、環境は整っていたとはいえ。今の制作環境見せたら、怒るだろうなあ便利すぎて(笑)。

久々に弱気

 大体からして自分は楽観主義者なので、滅多に落ち込んだりしないのですが、最近はちょっと弱気になっています。現在の悩み:デモ曲のボーカルさんが全然見つからない……。そろそろ毎回違う人に頼むのは止めたほうがいいと分かってはいるが、全然違うタイプの曲ばかり書いているので。合う人、歌えるだろう人を捜すのにひと苦労。時々依頼後、没もあるからなぁ。予算もそんなにあるわけじゃない。昔頼んだ方で、仮歌受託をやめてしまっている人も結構出始めている。体調や生活環境の変化で、永遠にできる仕事でもないですからね。こうなるとこの世界も一期一会なんですねえ。

 弱気なのは自分の体調のせいもある、3日くらい調子がいいと1日体調不良だったり。どうも駄目っすね、自律神経失調症もう治らないと諦めているけど、学生時代からの長いつきあい。高校出るくらいまでは、よく医者にも行っていたから、親は大変だったと思う。そんな自分も今は独り立ちしてますが……。
 あ、時々こいつは(普通の)仕事してないのではないか、と思われるらしいけど、ちゃんと労働してまっせ(笑)。何の変哲もない一労働者ですので、不労所得とかもありません。音楽制作はその合間、でもまあこれが案外いい体制。ずっと音楽ばかりに向き合っていたら、自分なんかはきっと煮詰まってしまうだろうと思う。関係ないときにいいアイディアが出たり曲想が湧いたり。面白いもんです。

 しかしなあ、今年もインフルエンザの季節がやってくるし(自分の防御法は、とにかくしつこく外出時のマスク!不審者上等)、そのあとスギ花粉と、まあ病弱男子にとってはきついイベントが待っているわけですよ。あと25年音楽作るって大見得切ったが、実はもう3年位で寿命尽きるんちゃうか。余命三年作曲日記でもやるか、3年経ったら2代目になるやつ(w)。

 音楽業界は本当に尊敬できる方ばかりですので、そんな方々のお姿を拝見してパワーを貰いつつ、不肖弦央も本番化する冬を乗り切ろうと思います。
(今年は多少暖冬のようで、そこは有り難い)

究極の目標

 年末だからという訳でもないですが、改めて自分の目標を確認しておきたい、それは「(今よりも)より良い音楽を作ること・作れるようになること」。仕事とかなにかはそれに付随して、もし付いてくるなら、くるんでしょう。
 とりあえず、良い音楽とは何か、ということは、長年それこそ良い音楽ばかり聞き続けた結果、この歳になってようやく判りました。昔の人がいった「門前の小僧、習わぬ経を読む」というのは本当でした。あとは、それを目指して際限なく曲を作り続けてゆく。

 面白いことに、「究極の一曲」というやつは、たぶん音楽(制作)の世界にはないようなんですね。最高の一曲が出来た、と思った瞬間、それを超えるものが書きたくなる、曲想が浮かぶ。どうやら作曲には「終わり」というものがないようです。
 これが、文学書き物の世界だと、その書き手にとっての究極の作品というやつは、たぶんある。もうやりきった、これ以上はない、というところは、存在するかしないかと問われれば、やはりある。だから世の中には筆を折ってしまう作家もいるんでしょう(無論そうでない人もたくさんいるが)。
 この違いがどこから出てくるのかは、自分にはまだわかりません。

 だからまあ、「究極の目標」が更にそれを踏みこえていくこと、なんだから、矛盾してはいるんだけど、究極がない世界なので「常に進化していくこと」が目標にならざるをえない。曲単位では終わりがあるのに、音楽そのものは違う、むしろ無限に連なっているらしきもので、そこは面白いところです。
 やはり音楽には「何か」がある、宇宙とか世界の根本原理に触れるような要素が内包されている、というとちょっとスピリチュアルでコワいけど(w)、たぶんそう。自分が思うのはどうやら「時間(とエントロピー)」、これが最大の要素。あと1オクターブの12音と、時間の12・24という単位の一致は偶然か?……などと考えると眠れなくなりそうですが(w)。

 まあ時間のことをいえば、何度もいうが自分もいい歳なので(笑)、音楽の究極に近づくためには、余分なことをやっている時間はないのです。今後も分相応に、チマチマやっていきますわ。そりゃ自分ごときは、業界の諸先輩方のお仕事を拝見して勉強させて頂くのが第一で、それ以上を望むなんてカンチガイは致しませんので。

 にしてもまあ、風の噂で、なんか自分は業界で独自の位置(地位?w)を確立しつつあるとかなんとか、かつてないユニークなポジションになるのではないか?どうなのか。ねえ、どうなんすかこれ。業界の隅っこで地道にやろうと思っていたのに、どうもそうさせてくれない謎の力が働いているのか?それとも? や、これはまあ、あくまで風の噂ですから……。
 人生わからんもんすなー、今後どうなっていくかは、どころか来年どうなっているかもはっきりしない。
 とにかく、曲を作り続けていることだけは事実でしょうね。(ドヤ顔)

さりげない冒険的ミックス?

 例によって古い洋楽コンピのCDを仕入れて聞いていたら、またもや面白い発見。AORベストという、まあ名前からして80年代あたりの曲しか入ってないやつですわ(w)。

 クリストファー・クロス、この人は非常に美しいボーイソプラノのような歌声のアーティストでしたが、その大ヒット曲「セイリング」。アンプを通しただけのようなナチュラルな音のストラトのアルペジオが印象的な曲です。このストラトが手動ダブリング(つまり2回重ねて弾いている)なのは知っていたけど、今回じっくり聞いてみたら、大編成のストリングスがかなり面白いミックスなのに気付きました(チャンバーオケくらいの陣容)。
 だいたい定石だと、こういうストリングスはスケール感を出すために左右一杯くらいに広げて迫力を出すじゃないですか? こいつはなんと、モノラルか、ってくらいに中央に寄せてあって、これがまた曲全体のサウンドの中で非常にハマっててカッコイイんですわ。逆転の発想。
 この曲は、ちょっと内向的というか、インナーワールドな哲学的な詩の曲でもあるし、アレンジもそうなので、これはミックスした人がわかっててやったんだろうなあ。ちょっとクラシカルな感じがイイネな弦でもあります。

 こうなってくると、今時の派手なミックス処理でなくても、こういうさりげない処理だけでも(定位変えただけなので)、もう立派にアレンジの一要素だなあ、と思えてしまいます。
 これはリアルではありえない定位、逆に他の楽器、例えばドラムのタム類は定石通り派手に左右に振ってあるし。ミックスをするときはついリアルに引っ張られがちだけど、あまり固定概念に捕らわれるのも良くないなあ、と思った次第。
(リアルだと弦だけ50m位奥にいたらこういう音場になるか?w)

 今月に入って急に気温が下がってきました、年末年始お忙しい方ばかりだと思いますが、皆様もどうかお身体にはお気をつけて。

深夜にテレビを見ていたら

 ETVで坂本龍一さんが出ていらして、たぶん音楽制作周りのドキュメントだったと思うけど、自宅スタジオらしき場所での不思議な光景。坂本さんがシンバルを2枚持ちながら、雰囲気のある家屋の廊下をやってきて、階段を下りて地下のスタジオに入っていく。(たぶんニューヨークのご自宅兼スタジオでしょうか?) スタジオ内で、スタンドに乗せたシンバルの端に、バイオリンの弓を当てて「弾いて」鳴らす。実に不思議な音でした。鳴ったシンバルを指で触ってミュートしたり。
 あと大き目のグラスにマレットをこするように当ててその音を探ってみたり。
 譜面を書くときはスタインウェイのピアノの前なんですね。DAWでなく鉛筆で五線譜に。といってスタジオ内にコンピュータもありますが。シンセも、あれはプロフェット6かなあ?電源入っていたので、すぐ音が出せる状態。
 このスタジオもほぼメジャーレーベルのスタジオのような設備。もちろんスタッフは雇われていると思いますが、これを運用・運営していくのはかなりの労力が(そして資金も)かかるだろうなあと、いらぬ心配を(w)。
 あ、あとエレキギター(ストラトかジャズマスターだったか)を、探るように弾いていたり。
 坂本龍一さんといえども、こうやって着想やら曲想を練る時間には、様々なことを試されるのだなあと、ほんの数分見ただけの印象ですが。時間がなくてそこしか見られなかった、しかも音を絞っていて台詞の部分をあんまり聞けてない。残念。
 再放送があったら見てみよう、と思って調べたら、これなんとドキュメンタリー映画だったのですね。「CODA」というタイトルでした。
(前半憶測で色々書いてしまったが大丈夫かなあw)

 音楽制作は究極的には孤独な作業なのだなあ、と断片的な映像だけを見ていてもわかる構成でした。まあ今の時代、だんだんそうなってきた、ともいえるかとは思いますが。結局昔の作曲家もピアノに向かって一人で作業していたわけです。
 最終的には、突き詰めたところからしか、曲は湧いてこないのではないでしょうか。ふっとフレーズの断片が浮かぶときも、たぶん間違いなく独りでいる時。面白いですね、これほどまでにたくさんの人々と長い人生で関わられてきた大作曲家・プロデューサーなのに、制作のほんとの現場では孤独に音楽に立ち向う。
 様々なことを考えさせられました。