少し前からの流れでTOTOの名曲「George Porgy」を、懐かしいなあと思いながら聞いていた。ちゃんと聞くのはそれこそ20年振りくらい。これ1stアルバムに入っていてシングルカットされ大ヒット、発売1978年なんですね。
意外に思ったのは、非常にシンプルなアレンジだったってこと。まずAメロからボーカルのメロディと、それをハーモナイズするピアノがユニゾン。B1になると、今度はギターまで単音でメロとユニゾンしてくる。この時点で、メロディをピアノ・ギター両方がなぞる形。ある意味素朴というか、しかし非常に効果的で美しい効果が出ています。
たぶんアレンジャーの意図としては、メロを楽器でも「歌いたかった」のでしょう。これがスティーブ・ルカサーとデヴィッド・ペイチですから、まあボーカルを超える表現力で、非常にハマっています。ただのロックバンドじゃないぞ、AORだぞってことを世に知らしめた名曲ですね。
(たぶん凡百のプレイヤーだったら、ただの陳腐なアレンジにしか聞こえないかも。プレイヤーの腕があってこその仕掛け)
やっぱりTOTOはとんでもない人達だ、ってことを再確認。そしてやはりこの頃ポップミュージックは一度完成しているんだなあ、と。
ワンコーラス版です。
(以下、敬称略)
先日、サブスクで曲を聞いていて面白い発見をした。なんかのアルゴリズムの都合で、久保田早紀「異邦人」が出てきたんですね。おー懐かしい、と思って聞き終わって、そのサイトを閉じて、しばらく別の仕事してから、今度は違うサブスクサイトを開いたんです。そっちは先日書いたYOASOBIの記事の都合で、お勧めに幾田りら曲が出ていたんです。で、次に聞いてみた。
ここでふと気付いた。意外と、久保田早紀と幾田りらはシンガーとして似ている……続けて聞くとかなり似ているってことに。知っている人は二人の歌声を思い浮かべてみて下さい。
久保田早紀は、ちょっとハスキーでダークなカラーもあるが、そのハスキーさとダークさがないのが幾田りら。ブライトで影がない感じで、こう書くと違うようだが、声質や歌い方、何よりシンガーとしての佇まいが似ている……いかがですか?そう思いませんか?
幾田りらは、松田聖子の「SWEET MEMORIES」をカバーしたりしてるけど、前々からどこかで聞き覚えのある歌声だな……と思ってました。まさか久保田早紀とは思わなかった。(ご存知ない方へ、昭和の時代に一生を風靡したアーティストです)
お二人ともシンガーソングライターだし、ピアノとギターという違いはあれど、結構面白いところだと思ってしまいました。
当然、ソロとしてはYOASOBIとかなり違った路線だから、今後が楽しみ…というかお手並み拝見といったところです。
「氷雨レイジネス/rina」がアマゾンデジタルミュージックの新着ランキング(ポップス)で15位を獲得しました。売れ筋ランキングだと99位。

ディストリビューターから配信依頼するとき、ジャンルを「歌謡曲」にしていましたが、アマゾンが気を利かせて「ポップス」に変えたようです。
なお名前が違って登録された件は、何らかの理由でLINAというアーティストと関連付けをされてしまったことが原因のようで、修正依頼を出しました。(数日後には直るとのことです)
気鋭のシンガーrinaの歌うニュー昭和歌謡「氷雨レイジネス」が、配信開始になりました(デビュー曲)。
Amazon | Apple | Youtube | LINE | Spotify
(他、主要配信サイトでリリース)
(アマゾンだけがなぜか「LINA」名義になっており、現在確認中ですが、他の曲でもジャケットでRINAという名前がLINAと表記されている例が複数あるので、何か原因不明の事情がありそうです。驚き入ったITガリバーです)
4カ月連続リリースです。(どこまで続く?)
それよりも大きなニュースとして、ここで何度か紹介してきたrinaさんに、Dew Ridge Recordsに参加、という形を取ってもらうことになりました。
正直、現状ネット完結のレーベルなので、どのように展開していくか、弊社としても手探りですが、feat.形式よりは各段に深く関わっていくことになると思います。むろん個人名義のリリース、商用配信としてはデビュー曲になります。

リリース: http://dewridge-records.official.jp/release.html#015
rinaのページ: http://dewridge-records.official.jp/artists/rina.html
オーディオ・無線機メーカーであるKENWOODの前身は、TRIOという名前でした(TRIOの海外向けブランドだったKENWOODに社名変更した)。それがもう40年ほど前。昔はFM放送を聞いていると「ステレオ~TRIO~」なんてジングルが時報の時、流れていましたね(←わかる人は同年代のはず。そのKENWOODも今やJVCと合併…)
というTRIOのプリメインアンプが、つい最近まで実家で現役だったのです、驚異の持続性。しかしさすがに入力切替スイッチのところがヘロヘロに劣化して、どこを選んでも半接点で触らなくても音が途切れ途切れになる始末。さすがにこりゃ寿命だと新しいプリメインアンプに変えて、これにて一件落着……だったのですが、元はちょっとお高いやつだったので、捨てずに部屋の隅においてあったんですね。
それで数日前、ふと思い出した。そういえば接点復活剤を試してなかったじゃないか、と。もしかしたらスイッチのところに噴射すれば、復活するかもしれない。(他の部分は問題ないので)
で、アマゾンでKUREのコンタクトクリーナー・スプレーを買って、TRIOのアンプのカバーを外して、スイッチのところに表裏としっかりスプレー噴射。配線を繋ぎ変えて、いざCD再生……。
なんと、見事に復活です。TRIOのブライトでクリアーな音が戻ってきました。こんな奇跡が起こるなんて……と興奮していた矢先。「ブチッ。ガサガサ……」
あらら、また半接点が始まってしまった(汗)。幸せな時間、約3分。それだけしか接点復活剤は持ちませんでした。
その後数回トライするも、やはり結果は同じ。再誕計画は失敗したのでした(こういう話はよく聞く。あれは一時しのぎみたいだ)。
うーん、この切り替えスイッチさえどうにかできれば復活するんだが……。交換部品を揃えて半田コテ握るのもなあ……(100%補修部品ないし)。どうしたもんか、まだ迷っている。代用部品を探すしかないのか。
ヒカリ真王子さんが名曲「夢芝居」を、ビッグバンドの生演奏をバックに歌っています。凄い迫力なので皆様も是非。
角川博さんもスペシャルゲストで登場。
岡宏とクリアトーンズは、’70年代から活動を続ける老舗のビッグバンドです。抜群のアンサンブルとテクニックを誇ります。
寺尾聡さんの「ルビーの指輪」がラジオで掛かっていたので久々にちゃんと聞いたが、今更ながら本当に名曲です。シティポップというか、たぶんそれが進化・深化したAORというべきでしょう(実際昔はAORの代表曲の一つと言われてた)。
ボーカルはもちろん、サウンドもアレンジも本当にスタイリッシュで格好良い。そして歌詞はズバリ「物語の世界」。好きな女性にルビーの指輪を渡したが……というのは寺尾さんの実体験ではないはずなので。
で、作詞・作曲も寺尾さんだと記憶していたのですが、今回調べたらこれは間違いで、作詞は大御所・松本隆さんではありませんか。職業作詞家の手になる、まさに物語の歌詞だったわけです。
(余談ながら、この曲に登場する女性はちょっとプロっぽい。当時から思ってた(汗) たぶん指輪は売られたはず?)
Wikipediaで調べると、この曲は1980年発売。正にバブル時代の始まりに、こんなAORの名曲が出てきたわけです。当時は高い宝石を女性に贈ることも、(婚約以外でも)珍しいことではなかったはずです。しかしこの男性は振られて2年も引き摺っていたり、ちょっと情けないよね。
アレンジとキーボードは井上鑑さん、他にもギターの今剛さんドラムスの林立夫さんを始め、錚々たるメンバーがバックを固めています。今改めて聞くと、結構ライブ感のあるアレンジと演奏だな……と。きっちり計算して作ったアレンジワークではなさそう。それが非常に楽曲に良い効果をもたらしているように感じます。
こういう大人が聞いてもハマる曲って、今はなかなか少なくなりました。世の中には絶対存在するはずだけど、ヒットまで辿りつかない。寂しい限りです。これが160万枚売れたんですから、当時のリスナーは皆耳が良かったよ。
自分はまだティーンでしたが、それでも滅茶苦茶カッコイイ曲だなと思ってました。周りの子たちも皆聞いてた。その意味では若者から大人まで鷲掴みにされた名曲です。
今回は音楽じゃない話。
国会図書館のサイトで蔵書をスキャンしたものが見られるのですが、その中に宮澤賢治の「春と修羅」もありました。賢治の生前発表された唯一の詩集ですが、これの貴重な現物が見られるのだからとても良い仕組みです。
これを見てて気付きましたが、初期の賢治作品の中でも非常に重要な意味を持つ詩、「冬と銀河ステーション」は詩集の一番最後にありました。「春と修羅」は何度も読んでいるのに、意外と気付いてなかった。
この詩は、ご存知の方も多いでしょうが、後の「銀河鉄道の夜」につながるイメージがふんだんに盛り込まれ、ほぼ間違いなく名作童話の誕生につながるきっかけになったと思われます。科学用語も散りばめられ、賢治以外には絶対書けない世界が現出しています。
そして気付いたのですが、「冬と~」は「春と修羅・序」と明らかに対になっているんですね。最初と最後で、呼応しあうような関係になっている。あの「序」も賢治以外には書けない非常に新しい表現だったので、これは両方とも賢治は相当の自信があったのではないかと。
自分も大好きな詩なので、これに気がついた時は嬉しかった。
(ちなみ、序のあと詩集の本編冒頭にくるのが「屈折率」)
当時世間的な注目はほぼ浴びなかったものの、草野心平が一読して驚いてすぐ同人誌に誘い、中原中也に至っては心酔して座右の書にした詩集なので、たぶん二人とも序と冬と~には、大きな価値を見出していたのではないでしょうか。
賢治は、作品そのものも凄いが、詩集の構成力にも並々ならぬものがあったといえそうです。
(編集者がいたわけではないので……)
その他にも、この春と修羅の初版を見ると、当時の印刷とか紙の質感とかがデジタル化されているとはいえ伝わってきて、非常に興味深いものがあります。やはりオリジナルは貴重。お好きな方は是非。