少し前に寒波で胃腸をヤラれて大変だった。急に冷えるとなぜか直接くるんですわ。これで無思慮に脂っこい物や冷たい物を摂るともう駄目。こんな時は我慢せず大正漢方胃腸薬を連投(w)。食べる前に飲むってやつですな。イヤなムカムカ感がスッ消えします。これでも胃腸は若い時に比べて丈夫にはなっている。すぐお腹壊していたからなぁ。意外と年々健康増進してるのは、ウォーキングやストレッチのお蔭。
安室奈美恵さんの楽曲がサブスクから一斉に消えて騒ぎになっていたけど、どうやら契約終了ではなく重複リリース等整理のためらしい。これでCDの売上が上がったというんだから面白い。サブスクは「聞く権利」を買っているだけで、曲を所有しているわけではないからですね。だからこういうことは今後も起こりうる。大好きなアーティストの作品は物理媒体で買いましょうね。安心感が凄いし、資本主義社会なんだからそれが一番の応援。最低でもmp3ダウンロード(購入)ですね。
映画「ローン・レンジャー」見た。期待せずに見たがなかなか良作。ジョニー・デップがインディアン役で出演、ほぼカリブ海のあれのノリ。アメリカ開拓時代の話で、大陸横断鉄道が東西から連結された日前後の話を描いています。白黒TV時代にTVシリーズでありましたが(うっすら記憶)、もちろん現代のVFX技術で迫力満点に描かれます。ハイヨーシルバー!ってやつですわ。西部劇アクションものでした。
調べたら実は鉄道建設には中国人労働者が移民で大量に入ってきたらしい(作中描写あり)。それが後に西海岸に移住、東海岸からはアイルランドの労働者、だからそちらにはアイルランド系が多いと。米国史の勉強にもなりました。
最近ボヤッと思っているのは、1970年代の雰囲気って、実は今と似てないかってこと。
もう半世紀前なのが信じられないが(w)、当時って終末論ブームがあったんですよ。核戦争だったり、食料危機やエネルギー危機だったり、疫病・公害・オカルトetc。世界が何らかの原因で破滅するんじゃないかって盛んに言われていた。あの重苦しい不安な感じが、今とかなり似ている気がする。少なくとも70年代に子供時代を過ごした自分はそう思える。
核戦争については米ソが実際核ミサイルを突きつけあっていたし、石油危機が本当にあったし、オカルトではノストラダムス予言本がベストセラーになったりした。幽霊や超能力を扱ったTV番組も盛んに放映されていた。
時代としては終戦からがむしゃらに復興した60年代が終り、少し日本も生活に余裕が出てきた頃ですね。高度成長期真っ只中、バブル前の「古い日本」が残っていた時代です。そして思い出した、インフレまで今とドンピシャ同じ。
それでもまだ、「終末」はやってくるかも……という漠然とした不安感に留まっていたのが70年代でした。現代は、上に書いた多くのことが現実になってますね。地球温暖化も、昔は科学本なんかに盛んに載ってましたよ。
70年代の「不安」が現実になっているのが2020年代といえるでしょう。なんせ未来は今よりもっと悪くなる……こんなのがコンセンサスの時代ですから。
ここまでがいわば「大きな物語」です。では楽曲を書くという「小さな物語」の中では、僕らはどのように「今」の時代に向き合っていくべきでしょうか。
いきなり抽象的になったけど……これは正直、「わからない」としか言いようがない、実は。色々と手探りで曲を作ってリリースしてるけど、それで答えが見つかるわけじゃない。
ただ、書き続けていると確かにわかってくることがあって、制作技術的な面は別にしても、「ああ、こうやると時代に合った曲が出来るんだな」というのは少し見えてくる。それはもう、ぶっちゃけ優秀な若い人を連れてきて歌わせる、ってのもありますが、書き手の姿勢としてもどこか「大きな物語」を意識していたほうが良いと思えます。どこがどう、とは中々言えないんだけど、時代と呼応するような部分があった方が良い曲になるんでしょう。
例えばYOASOBIの「夜に駆ける」も「アイドル」も実は暗い内容の曲ですね。それを癖のない爽やかな女性ボーカルに歌わせたのが非常に面白いといえる。そんなところはやはり大きな物語の中にあるわけです。
とまあ、とりとめもなく書いてみました。最後にひとつ、今の制作環境や制作体制が、あとで考えたら時代を象徴するような要素になっているかもよ? ちょうど70年代の制作環境が、今ではもう再現できないように。
(追記:コンピュータ(AI)の叛乱、国民総背番号制度、監視社会って予想もあり、全部当たっている…)
Youtube観てたら、麻丘めぐみさんの「芽生え」のMVらしきものが出てきてびっくり。AIフェイクじゃないなら(w)、本人歌唱しょうね。MVっていうか「歌唱映像」みたいなやつで、どこかの公園で適当に(と言っては失礼だが)撮ったように見えます。1972年だからあきらかに映像の質感がフィルムです。(この時代はMVが重視されていなかった)
面白いのは、赤いセーラー服風の衣装なんだけど、今のアイドルが着ててもおかしくない感じ。この頃から何周か回ってまた新しいのもしれない。これまだハイティーンの頃だと思うけど、今の目線で見ても大人っぽいんだよなあ。当時のアイドルはみんな歌唱力ありました。音源の通りに歌えるもんね。(歌番組もたくさんあり、すぐに生歌を聞いて確認できた) 歌が歌えない人はそもそも歌手になれなかったので。
歌詞の中に、「神の裁き」なんて言葉が出てくるけど、これは一応当時の女子のリアルだったのか。悪い人に騙されて染まったら裁きを受けるでしょう……みたいな流れです。もちろん男性目線も入っているでしょうが、こういう歌が出てきても不自然でないくらいには、時代の雰囲気としてあったのかも。それに比べると歌に限っても現代は随分開放的で、女性が強くなりました(w)。
当時、まだ子供だった自分も麻丘めぐみさんを番組でよく見てましたが、ものすごくキレイだけどなんだか危ない感じ(すぐ騙されそう?)なお姉さんだな……という印象でした。
その後、すぐに一度引退してしまいましたが、アイドル歌手は20歳で引退するのが暗黙のルールだったので、そういうものかと思ってました。(結婚引退か、あるいは普通の歌手にランクアップするかの二択が多かった)
いままた姫ちゃんカットが流行っているそうですが、確かに70年代ファッションはシックでカッコイイ。映像がすぐ見られるから、古いものがなにかの拍子に再評価されやすい、面白い時代になりました。
(と、ここまで書いて気付いたが、麻丘めぐみさんの「危うい雰囲気」に当て書きで、「神の裁き」という歌詞ができた可能性がありますね。作詞は千家和也さん、作曲は筒美京平さんの黄金コンビ)
BIG MOTORの事件、すごい展開になってきた。昔だと悪徳中古車屋はローラーで距離メーター巻き戻したり、が定番だったが、まさかゴルフボールを活用とは(w)。保険屋もグルで、どんどんお手盛り請求させれば保険も儲かるもんね、加入者の保険料を上げればいいだけだから。ウチも損保ジャパンなんだけど、数年前からやけに高くなっていました(無事故なのに)。こんなカラクリだったのか。保険会社は金持っているからマスコミに強いし、政治家も献金欲しいから追求しないし、ビッグ社だけがトカゲのシッポ切りで終るんじゃないかと思ってる。日常的に(ほぼ業務として)保険金詐欺をしてたんだから、漫画だよこれじゃ。
アマプラで「シン仮面ライダー」観ました。小学生のときTVシリーズに直撃された世代としてはかなり楽しめました。大人のための仮面ライダーですね。ヒロインも雰囲気あって良かった。しかし明らかに綾波レイで、他にもエヴァっぽい登場人物が揃ってた。次はシン・レインボーマンをやってほしい。やや一般客を呼ぶには弱いので、ここは原作の川内康範先生繋がりで、「vs 月光仮面」にすれば良い。あと伊勢崎町ブルースを歌う謎のクラブシンガーとか、おふくろさんを歌う謎の演歌歌手が登場したら楽しい。ネオ昭和っぽい世界観。いかがですか東映さん、挿入歌くらいは書きますよ?(笑)
ProToolsのサブスク更新時期が来てて、知らなかったが今年の春に値上げしてたんですね、地味に3000円位。金額は大きくないが結構ショック。サブスクはこれだからイヤだ。しかもAvidは身売り検討中だと、酷い話。Cakewalk SONARのときもサブスク後にあんなことになったし、こうなるとサブスクは商売上手くいってない証拠とすら思えてくる。決まった金額入ってくるから油断しちゃうんかな。どこか日本メーカーが事業買ってくれないかと。YAMAHAはCubaseがあるから無理、RolandもSONAR売ったから、KAWAIかKORGあたりがやってくれたら万々歳です。
NHKで「坂本龍一 芸術は長く、人生は短し」を観ました。子供の頃のピアノ前での写真まで出てきて、音楽家としての人生を駆け足ながら振り返ったもので、良くまとまっていたと思います。個人的にはまだ死去の実感は持てません。膨大な音源と映像等が残っているわけで、それらの永続性を考えたら、音楽家の死というのは不思議なものだと、やや不謹慎ながら感じてしまいます。もちろんもうそこに新作が加わることないのですが……(未発表音源が発掘されない限り)。
NHK MUSIC SPECIAL 坂本龍一 芸術は長く、人生は短し
https://www.nhk.or.jp/music/programs/484975.html
番組の中で意図的にかオミットされていたと思うのは、「スネークマンショー」との関わりですね。かなり過激なコントプロジェクトだったので、コンプライアンス的に拙かったか(まあ坂本さんというかYMOだけど)。
僕らの年代だと、中高くらいで大滝詠一・YMO・スネークマンショーの洗礼を受けています。スネーク~は放課後に教室で誰かがラジカセで掛けてたりね。それを女子を含む皆で聞いて笑ってたり。平和な昭和の光景です。
ちょっと脱線したけど、坂本さんの中にはお笑いに接近していた時期もあったわけですね。今だと当たり前だけど、当時はかなり新しかった。
こうしてみると、やっぱり80sの音楽やカルチャーに果たした役割が巨大だったと思います。シティポップだけじゃなく、こんな面も80sにはあった、というかこっちの方が大きいな。やっぱりバブル日本、カルチャーも音楽も強かった、その核の一人が坂本龍一さんでした。
もしかしたら熱烈なファンには当たり前かもしれないけど、番組を観ていて思ったのは、坂本さんの音楽にはいつも「辺境」との関わりがあったかもしれない。かつてのシンセは音楽の辺境(エッジ)だったし、大島渚監督の映画や、お笑い、民族音楽、自然音、ノイズ音楽、全部メインストリームからは外れていますね。それでもいつも中心にあるのは、ポップミュージック、もっといえば広義のポピュラー音楽で、常に商業音楽としてリスナーにアピールする楽曲を作っていた、現代音楽のように象牙の塔に篭らなかった。それは映画音楽作品のようにオーケストラ曲でも同じ。この点は当然すぎてつい忘れがちですが大きな功績ではないでしょうか。
最後の作品はピアノソロ演奏ですが、コアになるものはいつも変わってなくて、その表現手段が変わってきただけ、という見方ができるかもしれません。
自分だけが知っている坂本龍一さんのエピソードをここで書いておきましょう、といっても皆が期待するような内容でありません(w)。ライター時代に記事を書いていたある雑誌が、坂本さんのインタビュー記事を載せることになり、表紙も坂本さんになりました。自分が書いたのは無関係の記事だけど。やらしい話でスマヌが、坂本さん表紙で売上がめっちゃ良かったそうです。編集長は大増刷したって言ってました(笑)。今から20年位前の話だなあ。
遺されたものは大きく、業界は(昔より)小さい。音楽業界の皆さん、どうしますか。
先日NHKで放映された「クイーン 21分間の奇跡 〜ライブエイドの真実〜 」を見ました。なかなか面白い話が流れていたので、記憶を頼りに書いてみる。
https://www.nhk.jp/p/anotherstories/ts/VWRZ1WWNYP/episode/te/XLJ6NXRL83/
世界中を熱狂させたライブエイドでのクイーン伝説のステージ。それはたった21分間のパフォーマンスだった!しかしクイーンはこのステージを迎える際、人気は低迷、メンバーの不仲など瀬戸際にあった。あの類いまれなパフォーマンスはいくつかの偶然とつながりの奇跡が生んだものだった。映画には描かれなかった伝説のステージのもうひとつの真実を、クイーンのメンバー、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが初めて明かす!
まず、紹介文にも書いてある通りバンドは非常に厳しい局面だった。人気は低迷、女装MVは大不評でアメリカで放映禁止(w)、南アフリカでライブをすれば、アパルトヘイト支持と取られ社会的批判を受けた(実際は収益の一部を寄付)。
出演依頼が来たとき、そんな事情もありメンバーの最初の会合では断る方向だった。だがブライアン・メイの証言では、その後の会合で彼自身が、純粋に音楽史上に残るイベントだから出演しようと提案、それが受け入れられたそう。
あのパフォーマンスのために、クイーンはシアターを貸切で、3日間もみっちりリハをした。
それが当日の伝説の演奏につながった。ボヘミアンラプソディは、普段はライブではやらない曲で、それをわざわざ一曲目に持ってきたのは作戦だった。
当日の映像が何度も流れてましたが、なんとダイアナ妃とチャールズ皇太子も臨席していたんですね。時に1985年。
更にショッキングな事実なんですが、実はライブエイドには当初クイーンは呼ばれない予定だったそう。それはこの運動の呼びかけ人、ボブ・ゲルドフが、クイーンを嫌いだったから(笑)。この人、ブームタウン・ラッツのボーカルだったんですね。世代としてはニューウェイブなので、クイーンのような旧世代バンドを敵視していた。ところが、プロモーターが呼ぼうと提案し、それを渋々入れたらしい。
当日、会場で演奏を聞いて驚嘆したと、ゲルドフ本人の弁。
最後にボヘミアンラプソディについて。歌詞の意味が色々考察されているが、フレディとデビュー時から親交のある音楽ライター氏の話では、皆考え過ぎとのこと。単に新聞で殺人事件の記事を見てそれで着想を得たんじゃないか、という。
同じ質問をロジャーにすると、「ファ(ピー)」というお答えで、インタビュー会場は大爆笑(NHKもノリノリでピー音入れるなよw)。もう数え切れないくらい聞かれて答えたくないらしいです。
ブライアンは、色々な解釈ができると思うが、バンドとしてはこうという決め付けはしない、という優等生的回答。
いやー、面白い番組でした。ブライアン・メイは、当時のインタビューも流れていましたが、語り口が今と全く同じ。とても論理的で立て板に水と喋る人で、ザ・理系ですね。博士号を取る予兆は当時からあったわけだ。(今はれっきとした天文学者でもあるので)
逆にロジャーは、考えながら短く本質的な言葉を毎回捜している感じ、正にザ・ミュージシャン。
ブライアンの言葉で、僕らは何も名曲を作ろうとしていたわけじゃない、その時どきで(悩みながら)ベストを尽くしてきただけだ、というのが重かった。ハッとさせられましたよ。
自分大好きな彼氏に悩んでいます……。Mayumi、待望の第2弾シングルは、令和のシンセムード歌謡
ナル男くんエレジー / Mayumi
http://dewridge-records.official.jp/artists/mayumi.html#024
#ムード歌謡 #歌謡曲 #昭和 #演歌 #シンセポップ
NHKで放映された「松任谷由実 ~私と荒井由実の50年~」を偶然見ることができました。
なんと、ユーミンさんはデビュー50周年なんですね。18歳でデビューだったそう。
タイトルに荒井由美が入っているのは、意外ですが、ご本人のお言葉では、自分は荒井由美を未だに超えられていない、ということのようです。「エッセンシャルなもの」があって、そこがポイントらしい。
貴重な映像・写真が流れていましたが、荒井由美時代でいうと、やはりバックに気鋭のロックバンド・キャラメルママが付いたことが大きく取り上げられていました。
また、アルバム「14番目の月」に入っている「中央フリーウェイ」、この曲はとても重要だったそうで、「この曲があったからここまでこれた」という程のもの。
コードを探りながらピアノを弾いていて、「この曲はどこに行っちゃうんだろう」(弦央註:調性のことだと思われます)と思っていたが、強引に戻してみたらそれで合ってしまった(註:元の調に)。だから、理論的に計算したのではなく、感覚的に決めたコード進行らしいです。凄いなぁ。(1976年発表、シティポップの嚆矢にして完成形)
で、このアルバムで”荒井由美時代”が終り、松任谷正隆さんとご結婚されるわけですが……。式の写真を見ながら、「互いの才能を独占したいから結婚した」って当時言っていた、というお話。口はばったたいが、本当に凄いご夫婦です。
あと、「中央~」でベースを弾いたLeland Sklarのインタビューも流れていました。現役でセッションマンを続けているようで、仙人みたいな風貌になっています。
曲もアレンジも素晴らしい、ファンタスティックだ、という話のあと、「目をつぶると、オーシャンパシフィックウェイをコンティネンタルで走っているような気分になる」とのこと。言い得て妙。
また、ユーミンさんは時々夫以外のプロデューサーと組まないのかと質問されるが、として、1曲だけならまだしも、アルバムとなるとお互いのエネルギーを合わせてぶつけていかないと完成しない、その場合夫以外考えられない、ということだそうです。
番組の最後では、ヤマハのAI・ボカロ技術で再現した荒井由美の歌声とユーミンさんが共演した新曲「Call me back」も流れていました。ちょっとボカロっぽさを残した感じで、それが却って良い結果になっているように思えました。
まだギリでNHK+で無料配信されているので、皆様もぜひ。(22日夜まで)
https://www.nhk.jp/p/ts/R6R5RGQNJZ/episode/te/J5QXQ92XX1/
JASRACサイトの会員エリアに、先頃面白いPDF資料が載っていて、ダウンロードして読んでました。「JASRAC80年史」という資料で、優に書籍1冊分の分量がある。元々はセミナーかなにかでの配布資料だったらしいけど、非常に出来がよく、それで公開されたらしい。(2019年版)
ここに面白い話が載っていて、名前通りJASRACの歴史を紹介した資料なんですが、なぜJASRACが作られたか、その経緯が最初に書いてある。
それによると、JASの前身となる団体が作られたのは戦前の1939年(昭和14年)。その理由というのが実に意外というか、なんというか…。なんと、外圧です。
在日ドイツ人の某が、昭和6年に外国著作権管理代行団体を日本で設立した。NHKのラジオ放送や、クラシックの演奏会などで、かなり厳しい取り立てを行い、場合によっては楽譜の差し押さえまでやった。まだあまり著作権は気にされてなかった時代で、かなりの騒ぎになったようです。
そのうち国内でも勝手に著作権団体を組織して日本の著作権業務を牛耳ろうとし始めたのですね。
それで大問題になり、国会で急ぎ関連法案などが整備され、JASRACの前身の団体が作られた、とのこと(社団法人大日本音楽著作権協会)。
だから、JASは誕生の段階から、日本の音楽著作権行政と深く関わっていたといえそうです。
この資料、奥付をみると編集は日経BPになっていて、かなり信頼性の高いものといえそうです。2018年までの出来事がずらっと編年体で載っている。
設立時の名簿を見ると、作曲家では服部正、古賀政男、古関裕而、平尾貴四男、本居長世といった名前が見えます。作詞家では西条八十、時雨音羽など。(敬称略)
この団体が戦後の1948年(昭和23年)に社団法人日本音楽著作権協会と改名され、現在のJASRACとなります。
余談ながら、こんな背景の組織が、一部で言われているような著作権マフィアみたいなものであるはずがない。先頃音楽教室問題で潜入調査して炎上したが、その前はロクロク調べない、と随分批判されてました。まず世間は調査して欲しいのかどうか、決めないとね。
(ちなみ、なぜ著作権使用料の請求が作曲家からでなくJASRACから来るかは、作曲家が著作権管理をJASに委託しているから。そのあたりは全部わかりやすく公式サイトに書いてありますね)
どうやら「惑星」でmoogモジュラーシステムを2台使っていたのは確定です。
「惑星」の次に出た「宇宙幻想」のライナーノーツを見たら、機材リストに「moog IIIp」「moog System55」とはっきり書かれていました。さらにRoland Sytem700も載っているので、どうやらフルサイズのモジュラー3台体制だったらしい。正直今回は度肝を抜かれました。
これって業界や世間で共有された情報でしたっけ? 自分も1台だと思っていたし、色んな記事を見てきたけど、1台…って感じの扱いばかりだった記憶しかありません。
最初期の写真だとIIIpが映っていて、その後はSystem55ばかりなので、機種を変えられたのか……と自分は捉えていました。
(IIIpは最終的には修理不能なほど故障して、NHKの放送技術博物館に寄贈されていますね)
あと「惑星」のライナーは冨田先生ご自身で書かれていますが、その中にとんでもないことが書かれていました。
弦楽パートは、moogとRS-202を併用したというのですね。202はRolandのストリングス(アンサンブル)キーボードで、トミタサウンドにおける弦楽パートという、非常に重要な役割を担っていたわけです。
実は今回「惑星」を聞き返していて、今の耳で聞くと弦楽パートで、なぜかストリングスKBっぽい音が聞こえるが気のせいか…と思っていたんですね。これまで読んだ分析記事の類だと、必ずmoogを20回とか弾いて重ねて……みたいな話でしたね。なんと、公式中の公式情報、作品のライナーノーツでこんな「種明かし」がされていたのです。(重ねたのも事実でしょうが)…昔読んだけど失念してた(汗)。
あと面白いのは、シンセの音をスピーカーで鳴らしてそれをマイクで拾った……という試みをしたパートがあること。メロトロンをそのまま使うのではなく、VCFやVCAを通して加工していること(+moogと併用)。そしてシンセに対する姿勢、どういう意識で「惑星」を制作したのかがわかります。「惑星」の物理メディアを持っている方は、ぜひライナーを読み返してみて下さい。
フェンダーローズが機材リストに載っていて驚いたのですが、一体どこで使ったのか……と考えて、あぁあれだと。隠し味……ではありません。とても目立つところです。音の鳴りかたがモノシンセじゃないので、読者諸兄ならすぐおわかりになるはずです。ぜひ考察してみて下さい(w)。
今回思ったのは、Rolandはトミタサウンドにおけるバイプレーヤーとして、非常に重要な役割を果たしていたんだな、ということ。あくまで主役はmoogですが。
ちなみ、宇宙幻想では、デジタルシーケンサーの走り、Roland MC-8が満を持して導入されています。
投稿ナビゲーション