ピンクレディーの時代の業界話

 先日ラジオを点けたら「昇話歌謡〜うたの宝探し〜」という番組が流れてきて、作曲家の都倉俊一先生が出演されていましたが、どうやら特集番組だったようです。なんと、現・文化庁長官ですからね。3部の途中からしか聞けませんでしたが、記憶頼りにエピソードをご紹介。(3部はピンクレディーがテーマだった様子)

・昔は基本的に生伴奏だったので、色々な楽器が試せて編曲作業は面白かった。

・その中でもTVとレコーディングでは楽器編成が違うので、作曲家は編曲の違う譜面を2つ用意しなければならなかった。スタジオはストリングスが入るが、TV等はギャラの関係で雇えないことが多いので、ジャズのビッグバンド中心だった。

・自分(都倉さん)はブラスが好きだったので、ピンクレディーはブラス・ロック路線(のアレンジ)でやっていた。

・その中で、演奏難易度の高い編曲をやり過ぎたと思ったのが「カルメン’77」。案の定、ブラスの人から、「先生、難しすぎて吹けません。吹きにくいです」と言われた。とりあえず「駄目じゃないか」と返したら、プロだからその場で練習してやりきった。あとでお礼を言われたとか。これはイントロのところだそうです。

・阿久悠さんは野球が大好きで、高校野球の地方大会を4時間もTVにかじりついて見ている人だった。それも、ひとつのミスで試合がひっくり返ったとか、そういうエピソードを探してみていたそう。

・阿久さんを、(仲の良かった)王貞治さんに紹介したら、ものすごく緊張していた。王さんが(自分がモデルの)「サウスポー」の、相手の投手は誰なんですか、と聞いたら、阿久さんは焦りまくって「いえ実在しません」と答えていた。

・ピンクレディーは殺人的スケジュールで、彼女たちの貴重な青春をこんな形で浪費させていいんだろうかと、よく阿久さんと話していたらしい。あるとき夜の11:30にスタジオに呼ばれた。11時にピンクの二人が到着して食事を取らせ、そのまま夜中3時までレコーディング。二人は翌朝6時からまた仕事。

 パーソナリティの春風亭昇太さんがかなりビビってたのが印象的でした(w)。ただでさえ大作曲家なのにいまや省庁のトップですからね。JASRAC会長職も務められていたことがおありです。

(追記
・阿久さんとは相性が良かった。例えば「ペッパー警部」はなぜペッパーで警部なのか、それはもう阿久さんは「そうでなくてはならない」からだという。自分(都倉さん)もそれに同意していた。ただ作曲家のなかには、全部理詰めで納得したいという人もいる。だから作詞と作曲も相性がある)