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9月の雑記

 恐怖の夏太り現象。ギリギリ回避してるが、なぜか毎年酷暑の時期に限って、太る傾向っていう下手な怪談より怖い話。ググって知ったが、これって実は正常な身体の働きなんだって。医療系のWebによると、体温を超えるような気温になると、もう身体が糖分等を燃焼させて体温を維持する必要がなくなるので、食事量は同じでも栄養が余ってしまう。しかも暑いから運動しない、アイス等甘いものを食べる、体力つけようと肉や栄養高いものを食べまくる……。これで太る。むしろこの時期は食事を絞った方がいいらしい。毎日体重計と睨めっこ、500g増えたら悲鳴です(w)。

 少し前の話。Youtubeを見てたらおススメに、ABBAの曲を欧州のオーケストラが演奏した動画が出てきた。オケは小編成で、コーラスが50人くらいかな? 要所要所でコーラスが歌う感じでなかなかのアレンジでした。逆に100人コーラスとフルオケのもあったが、これはずっと歌わせていて失敗だと思った。キレ味ゼロ、ただのフルオケ伴奏曲。一番凄かったのが、本家スウェーデンのローヤルミリタリーブラスバンドの「ダンシング・クイーン」。アレンジも演奏も完璧。元々ディスコ曲だから、強力なリズム隊がいるブラスバンドに合うんですね。どうもクラオケがABBA曲を演奏する機会が欧州は多い雰囲気。愛されてますね。

 「解決」しないSus4問題。この場合の解決とはコード進行の流れのことです。サスペンデット4thコード、70年代くらいまでは洋楽も律儀に普通の3度に解決してましたが(カ-ペンターズもあったな)、80年代頃から解決しないで独立したコードとして扱われることがちょくちょく出てきた様子。メジャーでもマイナーでもない不思議な響きなんですね。構成音に4度が入ってるから、4度堆積和音のカラーが映りこんでいると思っています。自分もボカロP時代から、頑固に解決しなかったな(w)。やってみるとわかるが、解決するとなんか陳腐、手垢のついた進行感なんですね(それでも合う時はあるよ為念)。たぶんまだ可能性のある和音。

音楽ジャンルとミーム

 昔のムード歌謡曲をアレンジし直していた時の話。元の編曲がそれはもう見事なアレンジ(+演奏)で、本当にさりげなくお洒落なことがしてある。メロやコード拾っている最中に思わず「いいアレンジだなあ」と3回位呟いたほど(w)。むろん演奏は全て生で、スタジオストリングスやブラスを使いまくり。でもベタな使い方ではなく、力抜いてさらりと。
 で、拾ったコードをみると、ほぼトライアドだったりして、多少メロディック&ハーモニックマイナーや、ブルーノートが入るくらい。これでジャズのフレーバーがしっかり入っていて、アレンジワークの妙を見せて貰った感じ。テンションとかテトラド関係なくこんなにお洒落になるのかと。

 で、これならリハーモナイズ不用で新アレンジ作れるとふんだ。リハモすると、曲のイメージが大きく変わってしまいます。コード進行は楽曲の基礎工事部分だから。
 そのまま作り始めて、もう少しジャズっぽくしてみようと色々と、ちょっと楽器やハーモニーのヴォイシングを変えただけなのに、結果今度はドン引きするくらいジャズになった(笑)。なぜなのか。

 結局これって、音楽ジャンルのミームのなせる業という仮説を立てた。ミーム、つまり文化的遺伝子ですね。コード進行と同程度か、あるいはそれ以上の影響力があるかも。新発見。
 振り返ると新アレンジはリズムをスイング風に強調したり、譜面には出ないところでも無意識にミームに従っている。(ただしラテン色も入れたので、そんなに単色には染まってないはず)
 自分もジャズを聴いてきて、こんな時はこんなフィーリングで……(大意)ってわかるので、当然そうしますからね。

 ジャズというと、みんな音楽理論ばかり血眼になって勉強するけど、たぶん同じくらい総合的なミーム、そしてリズム・グルーブも大事なんだな、と思った次第。
(ストランヴィンスキーがジャズの譜面だけを見て書いた、トンデモジャズ曲ってありましたね。あれもミームを意識してないからそうなる。音楽マニア的にはとても面白いがw)

フルオケ曲メモ

 最近オーケストラ曲を書いていて気付いたこと雑感。今度は純粋なインストの話。
 これは理論書にも書いてありますが、アレンジのときコードトーンを重ねるならルートか第5音でないと、ハーモニーが安定しなくて変な感じになりますね(一応は)。逆にバンド曲やPOPS全般だと、根音はベースだけでもカッコイイ場合が多い(ルートを増やすとハーモニーが濁る)。
 オーケストラの場合、音源といえども一音一音のオクタン価は非常に高いから(バイオリンセクションなら30名)、そのあたりが音響的に関係してくるのかも。
(逆に、それを利用して不安定な感じを出すアレンジも作れるはず…)
 大人数の合奏でコードの響きを安定させるには、やはり根音が大切で、一種のハイ・ペダルポイントみたいな扱いで、増やした方が良いのかも(仮説)。

 またそれに関連してボイシングですが、テトラド(4和音)の場合で、オクターブ離してもどうしても当たってM7が使えない場合がある。これは不思議だが、同じメカニズムが関係しているのかも。
 こういう時の対策は、他の楽器でM7の音を出したり……ですね。逆にトライアド(3和音)はほとんどの場合、非常に美しく響きます。大昔に読んだクラシック系の理論書(入門書)で、M7が不協和音扱いになっていた記憶があるが、そのせいか。いや、記憶違いかも?(w)
 テンションは、実は今のところあんまり扱いに困ることはないなあ。そもそもそんなに重ねませんね。

 あと、意外と、ユニゾンやらTuttiが力強くてカッコイイ。ストレートな破壊力がある。複雑な演奏機構で単純なスタイルを取るのが美しいのかもしれません。

 Kompleteのシンフォニーシリーズ音源ですが、使ってみたら意外とアーティキュレーションが少なかった。劇伴に的を絞った感じかそれにしてもバイオリンアンサンブルで8種って、ちょっとどうなのか(w)。音も、まあ劇伴ですねこれは。
 シリーズにハープが入ってないのがショックっていうか、こりゃ酷いクレームレベル(笑)。劇伴で使いますからね。一応他に音源持ってるけどさあ…。

 時々無性にオーケストラ曲も書きたくなるので、今後とも合間合間に書いていきます。

追記:ジャズの理論本でも、少し前のやつだとM7の音が準テンション扱いになっているものもある。現代的なハーモニー感進化のなかで、扱いが変わってきたんですね。

「ハナミズキ」データ公開

 既に諸サイトでニュースが流れていたのでご存知の方も多いでしょうか、なんと「ハナミズキ/ 一青窈」のパラデータがTuneCoreで配布開始されました。詳しい内容は以下を参照して頂くとして。

Rework with「ハナミズキ」
https://www.tunecore.co.jp/cover-wanted/rework-with-hanamizuki

 あの大ヒット曲、現代のスタンダードといえそうな名曲の完全パラデータが、TuneCoreに登録(無料)するだけで入手できてしまうので、少しでもミックスに興味のある方はもちろん、プロ諸先輩方も全員ダウンした方がいいってレベルのお宝です。前代未聞の大盤振る舞い。一青窈さんを始め、関係者の皆様の大英断に拍手喝采です。
 しかも、期間限定で勝手にアレンジやコラボしてリリースして良いっていうんですから、ちょっと世界的に見ても珍しいプロジェクトではないでしょうか。

 で、自分もすぐDLしてみました。流石に大きなファイルでした。一青窈さんのアー写も入っています。
 パラデータは48k/24bitになっています。現在の制作での標準形式ですね。

 早速DAWに入れて軽くミックスして聞いてみましたが、このままでもかなりの迫力。全トラックに軽くEQ・コンプ処理済のようです。パンやボリュームを整えて、反響系を適切に設定すれば、「ハナミズキ」の楽曲がそのまま完成する仕掛け。(このデータを見たり、色々設定を変えてみるだけでかなりの勉強になるはず)

 特にピアノが、名演なのはもちろん、非常に美しい音で録られて(処理)います、絶品ですね。ストリングスも素晴らしい。一青窈さんのボーカル・コーラスは表現力が突き抜けていて、生トラックをソロで聞いてすら巨きな熱量が伝わってきます。
 面白いのはドラムのトラックで、たぶんドラマーの方の声が入っている箇所があること。大熱演なので拾ったのでしょうか。
 更に、いくつかのトラックで、演奏がない時に不思議な被り(音の回り込み)があるので、どうも全パート(あるいは主要部分)一発録りだった可能性がある。

 さーて弊社はどうするか、って聞いた瞬間に参戦することを決断したんだけど、まあこれだけ素晴らしいデータを公開されてアレンジ/リリースするなって方が無理。ウチみたいなインディーズレーベルのためにあるような企画ですからね、やりまっせ。

Yo- Yo- ひととよう
俺たち参加で曲変容
クロームテープは録音用
トガった企画で俺高揚 Ah

(こんなラップが入るアレンジではありませんw)

伝説の歌謡曲

 懐かしの大ヒット曲、伊東ゆかりさんの「小指の想い出」(1967年)を聞いていました。
 古い曲なので、今と比べたら時代を感じるところはありますが、それでも逆に音楽にとってハイファイ(高音質)ばかりがベストなわけではない、と思えてきます。
 もちろんこの録音も当時は最高品質のものだったわけですが(ミックスも良い)、今聞くと現代の録音物とは随分違います。

 まず圧倒的に音が太い。録音機材はアナログのものばかりで、歪み感も感じられるわけですが、むしろ温かみのある存在感があって、透明感はなくとも心地よい訳です。ご想像通り、今この音を再現しようとしても、どんなレコーディングスタジオでも無理でしょう。
 マイクが写し取った当時の空気感・時代の色合いみたいなものは、特別のものですね。
 イントロのトランペット、mp3で聞くと歪んでいるように聞こえるんだけど、確かCDだとギリでクリップしてない感じだと思った。これなんかむしろ、曲と合っていて却って良いくらい。
 そのイントロから、ラテン調の素晴らしいアレンジのバンド演奏が聞けます(これはルンバかな?)。

 もちろん当時はオープンリールのテープレコーダーが回っていたわけだけど、1967年というと、メジャーのスタジオでもせいぜい12トラック、もしかすると8トラックしかなかったかも。(発売はキングレコード)
 ……ということは、こんな大編成のバンド演奏を多重録音で録れるわけがないから、少なくともストリングス以外は一発録りじゃないかと思いますが、ぜひ業界の諸先輩方にご意見を伺いたい(w)。この演奏、アンサンブルも非常に良くいかにも手馴れた楽団が一発で録った感じなんですね。
 エレキギターとハモンドをユニゾンで演奏させて(今でいうレイヤー)、シンセみたいな効果を出したりと、アレンジも抜群。
 事実上のスタジオライブだったとしたら、生々しい躍動感は、そのせいだと思われます。
(もしやストリングスも一発録りかも…。レイヤーのところに入ってくるし)

 器楽演奏のことばかり書いたが、むろん伊東ゆかりさんの可憐で切ないボーカルがあってこその名曲です。当時20歳。
 面白い話があって、後年ご本人のインタビューで、当時は歌詞の意味なんて全然判っていなかったそうです(w)。ただ出されたものを歌っただけ、とのこと。それでこのクオリティは、やっぱり一時代も二時代も作った歌姫です。

 こういう扇情的で濃い感じの歌、正に歌謡曲の王道といえるものでしょうが、今はなかなかないですね。まあこの曲なんかも、時代が生んだ奇跡の録音芸術だと思うわけです。
 一説ではなんと150万枚売れたという大ヒット曲。当時まだオリコンは無く正確な数はわからないとか。全てが伝説です。

ディスコの名曲2

 アース・ウィンド&ファイアーの「ブギー・ワンダーランド」のCDをとうとう棚から発掘して(w)、ステレオコンポで聞いてみたが、やっぱりええわ~。演奏もむろん最高だが、ミックスが良い楽曲なので、音量を上げても全然うるさくならない。
 逆にミックスが悪い曲は、小さい音でもうるさく感じるし、大きくしたら聞いていられません(騒音)。実は音圧を上げすぎると、もれなくそういう状態になる。(現代の多くのポップス曲は、だからコンポで聞くことを想定していない、ということでもある…)

 それにしても、ちょっと前も書いたが、共通クレジットされているジ・エモーションズのコーラスワーク、もう信じられないくらいの冴え。局面によっては、モーリス・ホワイトのボーカルを喰ってしまっているような…。決して添え物コーラスではありません。
 そしてコーラスに煽られるように、リズムセクションも後半にかけて熱狂してゆく。

 エモーションズ単独名義の曲も聞いてみたが、普段はもっと力を抜いたムーディなコーラスをしているので、ブギー…の時が特別だったみたい。心技体じゃないが、何かの周期で全ての頂点がこの日に来てしまったか。それを見事にテープが記録した、正に録音芸術が完成した瞬間ですね。

 その意味で、曲のクレジットでfeatでもwithでもなく同格の「&」でEWFとエモーションズが結ばれているのに、心底納得です。

 この曲、1979年だから無論普通にレコードで発売されたんだが、EPだけじゃなく、LPサイズのロングバージョンも出たって当時聞いて、仰天したなあ。今だと珍しくないが、そういう文化がアメリカのダンス音楽にはあるのか、という驚きでした。カッコ良すぎでしょ。
 実はそっちもCDで持ってるが、長い分それだけ展開も多彩で、踊れるようになっています。全体的な印象だけど、ちょっとEP版よりクールかもしんない。
 「Let’s Groove」にも12インチ版はありますね。

EDMって何だったのか

 Electroric Dance Music――EDMといっても狭義のEDMの方。もう10年程前ですか、いきなりえらくプリミティブ(原始的/未加工)なシンセをフィーチャーしたダンスビートが世界を席巻したわけですが(といっても日本を除く)。結局、1-2年で消えましたね。当初から日本では流行らないだろうと言われてたが、その通りだった、ほぼかすりもせずといったところですか。
 詳しくチェックしていた訳ではないのでアレですが、今にして思えば、高度に専門化した制作手法も世界共通になって、「工業製品」のように平準化・単一化した現代の音楽へのアンチテーゼ、ちょっとした流行病のようなものだったのかもしれません。なんせ道具さえ世界共通なんだから、金太郎飴のように同じものばかりになってしまった、特にダンスミュージックの分野。ただラップやR&Bなんかもほぼ同じでしょう。
 それで誰かがEDMをやり出すと、また売れるということでシーンがそればっかになっちゃって、結局自縄自縛……という形、なんではないでしょうか。ちょっと意地悪過ぎるか。
 展開も音色もえらく単純だったような……それでいてそれが狭義EDMの特徴だった。音楽的には、例えばシティポップなんかとは対極にあるものといえそうです。
(別に、敵視しているわけではありませんが)

 こういう、画一化したプロダクト・ミュージックへのアンチテーゼは、ディアンジェロもそうですね。現代のブラックミュージックでありがちな作り込みを徹底的に拒否して、一発録りに近い形で楽曲を完成させる。こっちの方が、だから正統派かもしれません、それこそモータウンサウンドに近いので。(なんせEDMがアンチテーゼだったとしたら、その作り方もまた手法化されちゃったんだから、皮肉というかなんというか)

 日本人の一人としては、これが日本で流行らなかった理由の方に興味が出ますね。やはり日本人は作りこまれた音楽の方が好きだからか……? わざとセンスレスに振舞うことが、日本ではダサいと思われがち、だからかもしれません。そういう捉え方をすると、ヘタウマならぬ「ダサカッコイイ」が受け入れられるかどうか、ってところに落ち着きそう。
 まあ、今回は自分でもかなり浅い論考だと思うが、暴言妄言何卒ご勘弁を(w)。

 この狭義EDMを取り入れるとしたらどうなるのか、ってところを考えたら面白いけど、流行が終ってから流行物を取り入れるのはまたアレだし。例のフィルター開閉やら特徴的なフレーズを持ってくる、程度に留めた方が安全かもしれません。まあ実際そうなってますね。
 この狭義EDMが懐かしい…って言われて後に振り返られることがあるのかどうか。ちょっと興味があります。

ディスコの名曲

 ふと聞きたくなって、アース・ウィンド&ファイアーの「ブギー・ワンダーランド」をサブスクで流していたんだけど(CD持ってるのに場所がわからんw)、改めて気付いたことがひとつ。この曲はアレンジ的には、女性コーラスが非常に重要な役割を担っているんですね。クールなのにホット、アンサンブルもキレキレの3声コーラスが、時にモーリス・ホワイトのリードボーカルよりも重要な役割を果たしています。

 これはジ・エモーションズという女性3人組のグループで、曲の名義的にも、正式にはアースに加えてエモーションズがクレジットされている。モーリスホワイトが彼女たちをプロデュースしてヒット、その恩返しの形でアースのレコーディングに参加したらしい。そしたらこれまた全世界レベルの超絶ヒットになっちゃって……話。
 ディスコ曲は色々と分析されているが、女性コーラスに注目したものはあまりなかった印象。非常に重要なヒントを貰ったので早速制作で活かしてます。

 Youtubeにレコード会社の上げた正式なクリップが上がってますが、もうめっちゃくちゃカッコイイぞ。エモーションズが歌うところも見られます。これが40年以上前の曲って、本当に信じられない話。
 自分の世代だと、ちょうどティーンエイジャーの時で、FMラジオを聞いているとアースの新曲です、ってこれがいきなり流れてくるわけですよ。この信じられないグルーブ感、魂消たよ。いや昭和か、ってまあ昭和54年(1979年)だけどね。本当に音楽の黄金時代だった、他にも今も残っている名曲が次々に「新曲」としてチャートに出てくるんだから。(ちなみ、演奏も凄いがミックスも最高)

 おっと「Let’s Groove」のことも書くつもりだったが、長くなったのでまた今度。

アレンジについて一考察

 最近つくづく思うが、作詞・作曲よりも、編曲(アレンジ)の方が実は難しい、という事実……。全工程やっているからわかるが、作詞・作曲は技術的なところよりも、感覚的な部分に拠る面が大きく、わりとすんなり終るのがほとんど。(コード進行決めは理論が入ってるが、逆にそこから大きく逸脱することはない、少なくともポピュラー音楽は。便宜上今はコードも作曲工程に含める)。

 編曲になると、歌詞やメロや曲調を、どう最大限活かすスコア(トラック)を作るか、というのを考えないといけない訳です。曲のコンセンプトなんかも頭の隅に置いておく必要がある。物悲しいバラードなのに、血湧き肉躍るリズムアレンジじゃチグハグもいいところだしね。といってあまりに類型的なものじゃ陳腐になるが……。
 編曲も、やはり大きな部分は音楽理論だったり、典型的な編成やパターンというものはあります。それは多くを既存の楽曲から学ばないといけないものですが、あまりに突飛なものは自ずと曲に合わないので、まあこういう感じだよね、ってところは各ジャンルごとに存在する。

 ところが……そういったロジックだったりフォーミュラをなぞるだけじゃなく、やっぱりどこかで「行けー!」みたいなパッション、それは理屈を超越したものですが、それに身を任せた方が結果として良いものが出来たりするから、また不思議なものです。
 純粋な編曲技術的なところと、湧き上がる音楽的パッションがバランスより入り混じると、凡庸じゃない曲(編曲)が仕上がるじゃないでしょうか。
 (この件に限らずとも)バランスはとても大事だと思ったりするわけです。編曲次第で曲が良くなったり悪くなったりするので。

 今言ったのは、自分で作詞作曲した曲の場合なので、他の作家さんやシンガーソングライターさんが書いた曲だと、今度は更にこの人の書いた曲の意図は、とか、この人の音楽性はこうだから……ってところも考えないといけなくなる。またハードルが上がるわけです。発注者側(プロデューサー)の要望も、もちろんある。

 自分で書いた曲だと、ぶっちゃけ作詞作曲している時に、ある程度アレンジプランなんかも考えている、というか一緒に浮かんでいる。基本それを具現化していけばいいわけだから、それは何工程かすっ飛ばせるわけです。

 ここから、手持ちの音源でどうアレンジを具体化してトラックを作るか、という打ち込み戦略的なところも、無論必要になってきます。ギター一本で作っているわけではないので。
 こうなると、もう一人何役なんだよって話だけど、このあとにはミックス工程も控えているわけで……まあ長くなるので今回はこの辺で(w)。
 とにかく編曲は難しいぞ、って話です。(少なくともかなり巷の音楽をたくさん聞いて見知っていないと、要望に応えられないはず)