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QUEEN – LIVE AIDの真実

 先日NHKで放映された「クイーン 21分間の奇跡 〜ライブエイドの真実〜 」を見ました。なかなか面白い話が流れていたので、記憶を頼りに書いてみる。

https://www.nhk.jp/p/anotherstories/ts/VWRZ1WWNYP/episode/te/XLJ6NXRL83/

世界中を熱狂させたライブエイドでのクイーン伝説のステージ。それはたった21分間のパフォーマンスだった!しかしクイーンはこのステージを迎える際、人気は低迷、メンバーの不仲など瀬戸際にあった。あの類いまれなパフォーマンスはいくつかの偶然とつながりの奇跡が生んだものだった。映画には描かれなかった伝説のステージのもうひとつの真実を、クイーンのメンバー、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが初めて明かす!

 まず、紹介文にも書いてある通りバンドは非常に厳しい局面だった。人気は低迷、女装MVは大不評でアメリカで放映禁止(w)、南アフリカでライブをすれば、アパルトヘイト支持と取られ社会的批判を受けた(実際は収益の一部を寄付)。

 出演依頼が来たとき、そんな事情もありメンバーの最初の会合では断る方向だった。だがブライアン・メイの証言では、その後の会合で彼自身が、純粋に音楽史上に残るイベントだから出演しようと提案、それが受け入れられたそう。
 あのパフォーマンスのために、クイーンはシアターを貸切で、3日間もみっちりリハをした。
 それが当日の伝説の演奏につながった。ボヘミアンラプソディは、普段はライブではやらない曲で、それをわざわざ一曲目に持ってきたのは作戦だった。
 当日の映像が何度も流れてましたが、なんとダイアナ妃とチャールズ皇太子も臨席していたんですね。時に1985年。

 更にショッキングな事実なんですが、実はライブエイドには当初クイーンは呼ばれない予定だったそう。それはこの運動の呼びかけ人、ボブ・ゲルドフが、クイーンを嫌いだったから(笑)。この人、ブームタウン・ラッツのボーカルだったんですね。世代としてはニューウェイブなので、クイーンのような旧世代バンドを敵視していた。ところが、プロモーターが呼ぼうと提案し、それを渋々入れたらしい。
 当日、会場で演奏を聞いて驚嘆したと、ゲルドフ本人の弁。

 最後にボヘミアンラプソディについて。歌詞の意味が色々考察されているが、フレディとデビュー時から親交のある音楽ライター氏の話では、皆考え過ぎとのこと。単に新聞で殺人事件の記事を見てそれで着想を得たんじゃないか、という。
 同じ質問をロジャーにすると、「ファ(ピー)」というお答えで、インタビュー会場は大爆笑(NHKもノリノリでピー音入れるなよw)。もう数え切れないくらい聞かれて答えたくないらしいです。
 ブライアンは、色々な解釈ができると思うが、バンドとしてはこうという決め付けはしない、という優等生的回答。

 いやー、面白い番組でした。ブライアン・メイは、当時のインタビューも流れていましたが、語り口が今と全く同じ。とても論理的で立て板に水と喋る人で、ザ・理系ですね。博士号を取る予兆は当時からあったわけだ。(今はれっきとした天文学者でもあるので)
 逆にロジャーは、考えながら短く本質的な言葉を毎回捜している感じ、正にザ・ミュージシャン。

 ブライアンの言葉で、僕らは何も名曲を作ろうとしていたわけじゃない、その時どきで(悩みながら)ベストを尽くしてきただけだ、というのが重かった。ハッとさせられましたよ。

「見つけて群馬」「翼の王国」カラオケ配信スタート

 JOYSOUNDのうたスキミュージックポストで、当方で制作させて頂いた曲のカラオケ配信が始まっています。

「見つけて群馬」(ヒカリ真王子)
https://musicpost.joysound.com/music/musicId:138603

「翼の王国」(ナギサ)
https://musicpost.joysound.com/music/musicId:111058

 以下は当方の楽曲ではありませんが、ヒカリ真王子さんのデビュー曲です。

「江の島つむぐ雨」(ヒカリ真王子)
https://musicpost.joysound.com/music/musicId:136311

カバー曲の存在意義

 世界にカバー曲は数あれど、なかなか原曲と比べて「これは……」というものには出会えません。それはやはり、こんなアレンジをしてみました、とか、何々風に歌ってみましたとか、「お仕事」の部分が見えてしまうから。聞くほうも白けてしまうんですね。
 何が足りないのか、それはズバリ原曲へのリスペクトでしょう。ちゃんと原曲を理解して咀嚼しているか、原曲のアーティストまで見て考えているか……残念ながらこの時点で多くのカバーは失格になってしまうでしょう。上から言われてやっただけ……そんな商業主義の限界でもあります。(もちろん中には素晴らしいものもあるが)

 しかしこの10月になって聞いたあるアーティストさんのカバー曲。洋楽のスタンダードで、既にたくさんカバーがある曲だったので、どんな風に料理してくるか楽しみだったのです。しかし実際は、細部をリファインしてあるものの、ほぼ原曲をアレンジまでなぞったものだったのですね。こう書くとネガティブな印象に思えるかもしれませんが――結果を書くと、それはもう素晴らしい出来だったのです。面白いもので、~風にアレンジしたってものより、原曲を現代のレコーディングで再現したものの方が、遥かに心に響くのだから、音楽は何が正解か本当にわかりません。
 もちろんそれは、そのアーティストさんが歌い、コーラスワークをした、ってことに最大の(そして唯一無二の)意味があるのですが。凡百のカバーにはない非常なリスペクトが詰まったトラックでした。これはオリジナルアーティストが聞いても、たぶん喜ぶんじゃなかろうか(調べたらみんなまだ存命で音楽活動してるようだ)。

 そう、なんとこの曲の発表は1975年。文字通りの洋楽全盛時代の世界的大ヒットだったのですね。Wikipediaによると当時としては非常に新しい試みをスタジオワークで行って、誰もが驚くようなサウンド&アレンジを作り上げたらしい。あれから46年か……自分は少年時代にリアルタイムで聞いていますが、歳を取るはずだよ(w)。まあそれは置いといて、半世紀近い時間を一挙に飛び越えるような、良質のカバーでした。
(このカバーのアーティストさん、どうもメインボーカルを逡巡しながら歌唱しているフシがある。理由はわかりません。それがまた歌詞と相まって良い効果を生み出していると思う。いや~お見それしました)

 カバーに必要不可欠なのはリスペクトだ!と改めて確信した秋の夜でした。

映画「YESTERDAY」と音楽業界

 イギリス映画「YESTERDAY」を観た。売れないシンガーソングライターが、ビートルズが存在しない世界に飛ばれてしまい、そこでビートルズナンバーを歌って成り上がっていく話です。あらすじだけ聞くとなんだかなぁ……で、自分もあんまり期待せずに見たのですが、音楽業界のディテールやラストの決着が見事で、楽しめました。ということでその辺りを絡めて書いてみたい(以下ネタバレ)。

 主人公は本当にショボくれた感じで、多分30歳の壁の前で辞めようと思っていた矢先、ビートルズ曲のお陰でライブハウスで大ウケに。といってもそこから人気が広がるわけでもない。
 そこへ、マネージャー兼女友達が、ある男性から名刺を渡されるが、この人は自宅に小さなスタジオを持つ(たぶん)フリーのエンジニア。感動したのでぜひ手伝いたいと、そこで無料でレコーディング&ミキシングしてもらい、ビートルズ曲の詰まった自主制作CDを作る。
 そのCDをバイト先のスーパーで片っ端から客にタダで配り、ようやく少し名前が街で知られるようになる。これで自分も全国区に……という期待とは裏腹に、ローカルTVに出られるくらいで、そこでも「街の人気者」扱い。曲は超一流なのに売れないのは自分の問題だ……と落ち込むのですね。
(この時点でWebサイトもあり、そこで曲も聞けるようになっていたと思う)

 もしこのままならこれで終りですが、そこは映画なのでw、(本人役で出演の)エド・シーランがテレビを見てて、実はご近所さんで主人公の家へやってくる。なんと自分のロシアツアーの前座で歌ってくれ、という。ここから主人公の大成功物語が始まるのですが、これも前座で大ウケし、大手プロダクションのシーランの女マネが目をつけたから、なんですね。
 いくら曲が良くても、自主的に活動する限りは、まず大スターまで上り詰めることは無理、という厳しい現実が、映画のストーリーの中に巧みに組み込まれているワケ。(皆無とは言いません、実際今はあるので。いずれにせよどこかの段階でメジャーに所属するという形になると思います)

 この女マネが、LAに呼びつけた主人公に、「今からあなたに毒杯を飲ませる。飲めば名声もお金も手に入る。さあ毒杯をくれと言いなさい」と迫るんですよ(w)。(書き忘れていたが、主人公はイギリス在住、元の女マネとは告白されたが別れている)。正に悪魔の誘いだが、その意味はすぐ明らかになる。
 LAの最新鋭の設備が揃った巨大スタジオ(ほぼホール大)でのレコーディング、メディアでの大宣伝とネット先行配信のあと、いよいよCDアルバムの制作・発売。100人もの人間が出席する最高宣伝戦略会議(ほぼ洗脳セミナーのノリ)で、メディア総動員のプロモーションが決定・開催される…。まさに毒杯で、飲む覚悟がないと対処できないでしょう。巨大資金と人員を投入した活動で、大スターが「作られる」過程なわけです。むろん曲が良いのは前提だが、これでも実際は売れない人も多いわけで…。
 つまり主人公はあからさまに「商品」となり、大ビジネスの中心に据え付けられる。これが現代の音楽ビジネスなんだな、とわかる仕掛けでした。

 実はこういった世界的な大ビジネスに音楽を仕立て上げたのは、誰であろうビートルズだったと言われますね。そのあたりも製作陣は意識しているのでしょう。
 物語は、主人公の他にもいた元の世界からの迷い込み組の訪問や、意外な人物の最高に格好いいアドバイスがクライマックスとなり、実に良い落としどころへ収まります。監督は大のビートルズファンだそうで、これが描きたかったのかもしれない。
 なかなか爽やかなコメディでした、このブログの読者なら多分面白いと思いますよ。いまアマプラで見れるので、機会があれば。

(主人公は、有名になればなるほど孤独になっていく。大スターはみんなそれに耐えて音楽活動をしているわけでしょう。だから、時々心を病んでしまう人も出てくるんですね。やっぱり欧州の映画は深いな。
 あと、今は曲は十数人で書くのに(コライト→チーム作曲)、お前は一人で曲を書いているのか…と言われるシーンが面白かった)