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映画「YESTERDAY」と音楽業界

 イギリス映画「YESTERDAY」を観た。売れないシンガーソングライターが、ビートルズが存在しない世界に飛ばれてしまい、そこでビートルズナンバーを歌って成り上がっていく話です。あらすじだけ聞くとなんだかなぁ……で、自分もあんまり期待せずに見たのですが、音楽業界のディテールやラストの決着が見事で、楽しめました。ということでその辺りを絡めて書いてみたい(以下ネタバレ)。

 主人公は本当にショボくれた感じで、多分30歳の壁の前で辞めようと思っていた矢先、ビートルズ曲のお陰でライブハウスで大ウケに。といってもそこから人気が広がるわけでもない。
 そこへ、マネージャー兼女友達が、ある男性から名刺を渡されるが、この人は自宅に小さなスタジオを持つ(たぶん)フリーのエンジニア。感動したのでぜひ手伝いたいと、そこで無料でレコーディング&ミキシングしてもらい、ビートルズ曲の詰まった自主制作CDを作る。
 そのCDをバイト先のスーパーで片っ端から客にタダで配り、ようやく少し名前が街で知られるようになる。これで自分も全国区に……という期待とは裏腹に、ローカルTVに出られるくらいで、そこでも「街の人気者」扱い。曲は超一流なのに売れないのは自分の問題だ……と落ち込むのですね。
(この時点でWebサイトもあり、そこで曲も聞けるようになっていたと思う)

 もしこのままならこれで終りですが、そこは映画なのでw、(本人役で出演の)エド・シーランがテレビを見てて、実はご近所さんで主人公の家へやってくる。なんと自分のロシアツアーの前座で歌ってくれ、という。ここから主人公の大成功物語が始まるのですが、これも前座で大ウケし、大手プロダクションのシーランの女マネが目をつけたから、なんですね。
 いくら曲が良くても、自主的に活動する限りは、まず大スターまで上り詰めることは無理、という厳しい現実が、映画のストーリーの中に巧みに組み込まれているワケ。(皆無とは言いません、実際今はあるので。いずれにせよどこかの段階でメジャーに所属するという形になると思います)

 この女マネが、LAに呼びつけた主人公に、「今からあなたに毒杯を飲ませる。飲めば名声もお金も手に入る。さあ毒杯をくれと言いなさい」と迫るんですよ(w)。(書き忘れていたが、主人公はイギリス在住、元の女マネとは告白されたが別れている)。正に悪魔の誘いだが、その意味はすぐ明らかになる。
 LAの最新鋭の設備が揃った巨大スタジオ(ほぼホール大)でのレコーディング、メディアでの大宣伝とネット先行配信のあと、いよいよCDアルバムの制作・発売。100人もの人間が出席する最高宣伝戦略会議(ほぼ洗脳セミナーのノリ)で、メディア総動員のプロモーションが決定・開催される…。まさに毒杯で、飲む覚悟がないと対処できないでしょう。巨大資金と人員を投入した活動で、大スターが「作られる」過程なわけです。むろん曲が良いのは前提だが、これでも実際は売れない人も多いわけで…。
 つまり主人公はあからさまに「商品」となり、大ビジネスの中心に据え付けられる。これが現代の音楽ビジネスなんだな、とわかる仕掛けでした。

 実はこういった世界的な大ビジネスに音楽を仕立て上げたのは、誰であろうビートルズだったと言われますね。そのあたりも製作陣は意識しているのでしょう。
 物語は、主人公の他にもいた元の世界からの迷い込み組の訪問や、意外な人物の最高に格好いいアドバイスがクライマックスとなり、実に良い落としどころへ収まります。監督は大のビートルズファンだそうで、これが描きたかったのかもしれない。
 なかなか爽やかなコメディでした、このブログの読者なら多分面白いと思いますよ。いまアマプラで見れるので、機会があれば。

(主人公は、有名になればなるほど孤独になっていく。大スターはみんなそれに耐えて音楽活動をしているわけでしょう。だから、時々心を病んでしまう人も出てくるんですね。やっぱり欧州の映画は深いな。
 あと、今は曲は十数人で書くのに(コライト→チーム作曲)、お前は一人で曲を書いているのか…と言われるシーンが面白かった)

ヘソマガリアン・ラプソディ

 “世間で流行っている時は見たくない”派なので、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を今頃見たよ。感想は……うーん、悪くはないが、あれほどヒットしたのはちょっと理解できない、という大体おじさん世代の共通コメント(w)。自分らは’70-80年代にリアルタイムで本物見てるから、現実はもっと格好良かったよな、って思っちゃう(それほど熱心なファンでない派からしても、そう)。普通こういうもんは実際より格好いい役者がやるもんじゃないの? まあ俳優陣も頑張ってたとは思うが、本物がぶっ飛びすぎてたか。特にフレディ役の人、たぶんあれ出っ歯の入れ歯だと思うけど、カメラが回っているときも始終口の中で位置を直しているので、なんかコントみたいだった。ここまでやることはない、という意味でちょっと可哀想ではあった。
 あと監督が途中で交代してるそうですね。映画としても焦点が絞り込めていない感じ。ライブエイドのシーンが最大の山場って、そこで終わってしまうので尻切れトンボな感じ。まあ文句は言ってますが面白かったですよ。
(クイーンを知らなかったヤングピーポー向けの映画なのかもしれん、その世代にかなりウケていたみたいだし)

 個人的にツボだったシーンは、レコーディングのところですね。時代が時代なので、録音はマルチトラックのオープンリール・テーブレコーダー。あの太い昆布みたいなやつ(w)。昔はどのスタジオにもあれが鎮座していたんですね。デジタルネイティブ世代には何かわからない人も多分いたと思う。で、巻き戻さないと「今のところもう一度……」はできないんですね、隔世の感があるなあ。あとリテイクやりすぎて音質が劣化とか、今は何度でもできるから。(スタジオがデジタル録音に対応しても、記録媒体は結構長くテープでしたね)

 あと、バンド内で揉めるシーンがあって、フレディがブライアン・メイに「おれがいなけりゃお前は天体物理学の博士で、誰も読まない論文でも書いてるんだろ」と啖呵を切るところ(笑)。今は本当に博士号を取ってるんだから、天国のフレディに見せてやりたい。
(ライブエイドのシーンで、ブライアンはVOXのギターアンプを12台くらい積んでたんですね、あれは音への拘りが見えて面白かった)

 リアルな話、’91年にフレディがエイズで亡くなった時は、突然のことで本当にびっくりした。あれで日本中が(というか世界中が)、エイズって怖い病気なんだと認識したと思います。
 しかしフレディの乱痴気パーティのシーンは見たくなかったなあ。自己破滅型ロックミュージシャンそのまんま(きっとドラッグもやっていたはず)。
 「バイシクル・レース」でアメリカ帝国をコキ下ろし→世界からロックな行動に賞賛を受ける、からの、「フラッシュ(ゴードン)のテーマ」→結局ハリウッドの金に負けとるやないか~い→みんなズッこける、っていう一連の事件は映画で触れられてなかったな、これは良かった(w)。ファンに怒られるわ。

デモ曲追加・ネオJ-POP ROCK

 年の瀬もいよいよ押し迫ってきた日に、久々のデモ曲追加です。シティポップ的な要素をまぶした、ネオJ-POP ROCKみたいな曲を書いてみました。

「Pastel LOTUS」

 ボーカルはレッドナイトUKさんにお願いしました。ウーン若い人はやっぱりフィーリングもヤングだね、としみじみ思ったミドルof昭和生まれであった。

「希望の轍」Amazonで25位

 昨日、「希望の轍」がAmazonのデジタルミュージック新着ランキング(J-POP)で、25位を獲得したようです。皆様応援有難うございます、「光牙ギガ」の皆さんも喜んでおりました。

 9月になって、蒸し暑いが風が強くなったな、と思ったらいきなり台風で豪雨。四季は休むことなく巡りますね。皆様、コロナだけでなく健康にはどうかお気を付け下さい。

ジミヘンのギターでトリップ?

 ふと思い立って、ジミ・ヘンドリクスの曲をYoutubeで探してみました。当時の映像はフィルムだと思いますが、デジタル修復されたのか、驚くほどクリアで発色の良いものが見つかりますね。ついでに音の方も処理されたのかなかなか良い状態。以下はそんな映像の一つ。

 これもフェスでのライブ映像らしいけど、プレイの様子がこんなに克明に見られるのはそれだけで歴史的価値があります。結構、右手だけで音を出しているフレーズがあったりしますね(左利きなので、右手はフレットを押さえる方の手)。右利き用のストラトを逆さにして強引に使うところなんか、もう60年代のカウンターカルチャーの象徴のようなもの。
 楽器が身体の一部のようになっている。インプロヴィゼーションとしても言うまでもなく素晴らしい。こんな人がドラッグのせいで若くして亡くなったのだから、本当にドラッグカルチャーというのは(生み出したものもあるにせよ)、罪深い。
 何度も書いてるけどソニー・ロリンズなんか、廃人同様のとこから復活できたのは、正に奇跡だったでしょう。(並外れてメンタルもフィジカルも、音楽への想いも強かったと思う)

 ディストーションの掛かったハイの強いストラトのソロを延々聞いていると、実はそれだけでトリップしてしまいます。60年代という時代に(自分はまだ子供だったが)何故か引き戻されてしまうのだから、音楽というのは本当に不思議です。そういえばこの人はサイケデリックでもあったのでしたっけ。だからこの衣装なのか?(w)袖が広がっていてギター弾きにくそうだ。

 ジミヘンじゃ極端ですが、こういう自分のスタイルを強固に持っている名プレイヤーに曲を書こうと思ったら(あるいは曲に参加してもらおうと思ったら)、脚本の当て書きみたいに曲も当て書きするしかなさそうですね。(あるいはソロだけまかせるか)
 こういうのはボブ・ジェームスが得意でした、スティーブ・ガッドを起用した「はげ山の一夜」なんかその典型。プレイヤーのことを熟知していなければいけない分、普通のアレンジより数段難しくなるでしょう。(当然、スティーリー・ダンの事例のように、没も出てくるはず)

 ジミヘンは、ギル・エヴァンス・オーケストラとの共演が死去により実現しなかった話が有名ですが、今回調べてみたら、それ以前にマイルス・デイヴィスとも親交があり、マイルスの自宅で行われていたセッションには何度か参加していたらしい(!)。マイルスから非常に高い評価を得ていて、2度ほど共演話があったが流れ、3度目でギルとマイルスとジミヘンでコラボする予定だったのとこと。もし実現していたら、ジャンルを超える歴史的名盤、どころかここから新しい音楽ジャンルが生まれていたかもしれません。

 ギルは、ジミは本当はジャズミュージシャンだ、彼は恥ずかしがりやだからそれを認めないだけ、と言っていたとか。

(今回、ジミヘンの顔って誰かに似ているな、と思ってしまったのですが、よく考えたら若い頃のカルロス・サンタナと似てません? 驚愕の大発見、かも?w)