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The old vinyl I’ve listened

“ALL AROUND THE TOWN” live recording album, it’s a milestone of Fusion Jazz ’80s. Many people listened and enjoyed it in Japan, too.

In “Angela”, we can hear beautiful intro adlib by “Tin” Rhodes. This play is one of masterpiece for Rhodes players.

However, in the end of intro, we can hear a little strange feeling of sound. Probably this solo would have been cut, if so, it’s regret matter. Why? Who did it? 🙂

Lead electric guitar, played by Hiram Bullock, is really great during a song.

In “We’re All Alone”, all star big band plays dynamic arrangement. This song makes everybody excite, great playing, adlib solo “battle”s are so hot.
But Gary King is really “cool”, his solo has a soul.

I listened this song again, and knew it is more funky than my memory. And Earl Klugh’s rhythm guitar is so great.

I hope this Fusion Jazz brings big wave of music again to the world.

映画「ドリームガールズ」観た

 1960~70年代のアメリカを舞台に、新人黒人女性コーラスグループ三人組が、若いプロデューサーと二人三脚で、スターダムまで登りつめていくまでを描いた話。ダイアナ・ロスの自伝が元になっており、グループはシュープリームス、プロデューサーが立ち上げるレーベルはモータウンをモデルにしているそう。アメリカの音楽業界の様子が垣間見えて、この前書いた「イエスタディ」と同様、なかなか面白かったです。

 ただ、ミュージカル仕立てなのですが、題材が題材だけに出てくる曲が全部R&Bで、最初のうちこそ「本物」サウンドでノリノリでしたが、途中で急にウザくなってきます(笑)。それは、劇中でプロデューサーが言う通り、白人リスナーにウケるために、黒人音楽色を抑えてそっち方面におもねるような曲に方向転換したからで(「売るためには仕方ない」そう)、ブロードウェイのミュージカルでありがちな曲ばかりになってしまい、音楽的にはちょっと退屈だった。(極言すればあのテの曲は歌詞以外、本質的には似ているものが多い。もちろん素晴らしい作品も多いが)
 だから、前半の60年代の部分が音楽の多様性があって一番面白かった。(ファッションもコスプレみたいでwキマっていた)

 レコーディング風景も、最初レーベルのスタジオは手作り感満載で、ミキサーもポータブルの8chだが、グループが売れてレーベルも大きくなると、24chはありそうな最新コンソール、モニター環境になっていく。(もちろん70年代だからまだ録音はテープ)このあたりもリアルで面白い。
 最初のスタジオは、プロデューサーが経営していた中古車販売会社の倉庫を改造したもの。資金は閉店セールで一挙に在庫を売り切って作り、それを賭博で増やした……ってのはちょっと都合良すぎる気が(実際、そうでもしないと立ち上げ資金は賄えない、という点はリアルだが)。
 グループ三人組の移り変わる人間模様や、純粋だったプロデューサーが、昔自分たちがされた汚いテも平気で使うようになっていく、なんてところが見所か。
 マービン・ゲイやジェームス・ブラウンを思わせる(合体?)歌手や、ほぼジャクソン5も出てきます(笑)。

 デトロイトが舞台なので、60年代の大暴動や、マーチン・ルーサー・キングの公民権運動にも触れられています。黒人の地位向上にも音楽は大きな役割を果たしたわけですね。
(そしてこの後デトロイトが没落していくのは日本車が原因なんだから、日本人としてはちょっと複雑。余談ながらwikipediaによると、現在のモータウンは永らく活動停止中らしく、レーベルごと転売を繰り返されているようです)

(おまけ:今ググったら元はブロードウェイミュージカルの映画化だそうで、そのテの曲が多いはずですわ)

有名ジャズレーベルの秘密(3)

 2週に渡ってラジオで続きを聞いていたんだけど、これまたジャズの代表的レーベル「Riverside」と「ECM」の話では、極めてまともでお笑い要素ゼロでした(本来それが当たり前で、Prestigeが面白すぎたw)。

 まずRiversideの特徴は、ジャズ評論家がレーベルを取り仕切っていた(経営は社長が別にいて、そちらで行っていたらしい)。ジャズ評論家というと一見マニアックな方向に進みそうだが、実際は逆で、業界全体、一般音楽ファンまで見据えてバランスの取れたレーベル運営やプロデュースを行った。例えばBLUENOTEやPrestigeで録音したが目が出なかったセロニアス・モンクを、良質なプロデュースでブレイクさせた。また地方のファンしか知らなかったウェス・モンゴメリーを拾い上げて録音し、これまた大ブレイクさせた。またビル・エヴァンスの絶頂期を捉え録音した。

「ECM」はヨーロッパ発(ドイツ)のレーベルだが、なんと創設者はベルリンフィルでコントラバスを弾いていた人。なので(これも有名だけど)楽器の原音に近いナチュラルで透明感のある録音で、音を「作って」いるアメリカのレーベルとは一線を画した。ただ、若干の演出はあるそうで、自分もリバーブは掛けていると思います(スタジオアンビエンスだけではない)。録音はノルウェーのオスロが多いそう。チック・コリアのソロピアノやキース・ジャレットの録音など、独自性のある数々の名盤を出している。ヤン・ガルバレク等、欧州勢の紹介にも積極的。

 ……ね、まともでしょ?(w) 本来いちジャズマニアやコレクターがレーベル運営しようというのは、おかしな話ではありました。それがBLUENOTEやPrestigeなんだよなあ。
 これでレーベル系の話はおしまいのようです。
 あと、書き忘れていたけど、今のいかにもジャズアルバムっぽいジャケットのアートワークってありますが、あれはBLUENOTEが元祖だそうです。そういった意味でも、ジャズのイメージを決定づけたレーベルといえそうです。

有名ジャズレーベルの秘密(2)

 前回最後に書いた放任主義のレーベル、これはもう完璧主義の「BLUE NOTE」とは全てが正反対だったそうですが、その名はなんと……「Prestige」。おい待て嘘だろ、とジャズ好きの方は言われるかもしれませんが、後藤雅洋氏の話によればそうだったらしい。あの一杯名盤を出しているレーベルが、驚きですね。
 BLUENOTEは移民のA・ライオンが設立したのですが、Prestigeはアメリカ人のレコードコレクターのB・ワインストックが設立。やはりここも当時は中小企業で(インディーズといった方が多分早い)、初回刷り枚数は500-1000枚がせいぜいだった。
 ここはレコーディングに当たってリハをほとんど、あるいは一切やらせなかったらしい(w)。とにかくテープを回して、ミュージシャンを放り込んで好き勝手にやらせて一丁上がり、という方針。プロデュースも何もないです、時間(金)が惜しかったのだろうな。スタジオだって時間貸し。
 それでもあれだけ名盤を出せたのは、一重に時代状況が良かったせい。1950年代中盤のマイルス・デイヴィス・クインテットが典型だけど、今から考えると世界的なプレイヤーが壮年期でノリにノっている時なんです。そんな人達がスタジオで好きにやっていいと言われたら……もうわかりますね。モダンジャズが芸術として花開いていく時代だったし、それを無造作に記録するだけで、世界中のミュージシャンが今でも聖典と崇める名盤が次々と生まれてしまったのです。
 ドイツの完璧主義から生まれたのがBLUENOTEなら、正にアメリカの実践主義から生まれたのがPrestigeだったわけ。

 後藤氏によると、マイルス・クインテットには面白い逸話があって、当時Prestigeと契約していたんだけど、なんとメジャーレーベルのCOLUMBIAと契約が取れてしまった。それでマイルスはPrestigeとのレコーディング契約を一刻も早く消化しようと、2日で4枚のアルバムを録音してしまった(w)。無論リハなんて一切なかったらしいが、これでも名盤が生まれてしまう、当時の状況なら当然ともいえるでしょう。(曲が流れていましたが、さすがに若き日のコルトレーンも準備不足で冴えないソロでした、初見だったかもしれんw)無茶するわー、この人。

 こんな感じだったので、売れるかどうかわからないミュージシャンもスタジオに放り込まれて録音ができた(ある意味幸運)。結果玉石混淆なんだけど、後に有名になっていく人もいて、その代表格がエリック・ドルフィーだったとのこと。
 なおここは運営も緩いが金払いも(悪い意味で)緩かったらしく、ギャラ未払いを連発していたらしい(w)。もしかして当時の名盤でギャラを貰ってないプレイヤーがいたかもしれません。
 また何かラジオで聞いたら書きますね。(番組名→NHKR2カルチャーラジオ~「今、もう一度ジャズ入門」)

有名ジャズレーベルの秘密

 ラジオで聞いた面白い話。ジャズ評論家の後藤雅洋氏によると、世界屈指といっていいジャズレーベル、アメリカの「BLUE NOTE」ですが、始めの頃は本当に中小企業のような感じで、レコードの刷り枚数も初回500枚とか1000枚だったらしい。レーベル設立者はA・ライオンというユダヤ系ドイツ人の移民で、移民だからこそアメリカのジャズを「外」からの視線で芸術として評価できた。(米国内ではあまりに身近なので正しい評価が難しかった)
 あと、BLUENOTEのアルバムは、プロデューサーでもあったライオンの考えで、実は非常に作りこまれた「完成品」であった。コンセプトに沿って何度もリハーサルし、アドリブも練りこんでから本番の録音をしていたらしい。実例の曲が流れていましたが、そういえばミスもないし非常に流麗にプレイしている。ある意味ジャズの生っぽさからはちょっと離れているんですね。

 ライオンは、リハにもミュージシャンにギャラを払うという徹底っぷりで、自分のプロデュースを貫いていた。また著名なレコーディング・エンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーに指示して、徹底してミドルの音域を強調した音作りをした。それは当時の黒人家庭は裕福でなく小さなスピーカーしかなかったため、それに合わせたとのこと。
 後藤氏が例としてバド・パウエルの曲を流したあと、「ほら、これってホントのところ実際のピアノの音からかけ離れているでしょ?」と言われたのは衝撃でした(w)。まあ確かにそう。だから当時の曲を今聞くとややストレンジなのは、モノラルとかレコーディング機材のせいばかりでもなく、極端な音作りの結果ということもあるらしい。ただ、“作った”ウッドベースの音もそうだけど、名盤の数々がこういう音で録音されてしまったので、それがジャズのスタンダードになってしまった面もあるとのこと。
 また移民から見たジャズなので、音の“黒人音楽っぽさ”も強調していた。

 もともとライオンはジャズマニアだったそうですが、完成品を作ってしまうあたり、完璧主義のドイツ人といえばドイツ人らしい。
 逆に超放任主義のレーベルもあったそうですが、この話はまた次回。

 季節の変わり目、皆様どうかお身体はお大事になさって下さい。(個人的には早く花粉の季節が終わって欲しい…)

CDが溜まってきた

 山積みの蔵書の類をかなり処分して安心していたら(といっても、まだ半分くらい残っているがw)、今度はCDが増えてきました。困ったもんだ。
 本も一部はスキャン代行に出したりしたが、結局その程度の本はPDF化しても2度と見返さないですね。

 CDの方は、聞き終わったコンピ等は必要なものだけデータに吸い上げて捨てるにしても、昔から持ってたやつでも、もう聞かないなあ、ってのは出てきてます。例えば童謡関連のやつ、一時期集めていました。あれは児童合唱団の歌唱のが多くて、それが実にいいんですね。澄み切った穢れなき少年少女の歌声、っていっても日本の児童合唱団はほとんどが少女だけど(これは世界的にみても特異だそう、海外は少年が主流)。
 バブルの頃のCDで、J-POPを歌ったものもあるけど、児童が歌うと面白いっすよ、歌詞の意味が全然違ってしまう。例えば「濡れた瞳」って歌詞があるとして、普通大人が歌えばそこに背景とか色んな意味が備わってくるじゃないですか? 児童が歌うと、ほんとに物理的に「濡れた瞳」w(雨かシャワー?)
 あと日本は歌唱技術が異常に高いのも特徴。アニメや特撮の主題歌・挿入歌でプロとしてレコーディングも多いからね、有名どころの児童合唱団は。

 まあ、そんなのがあるとしてもよほどのもの以外はさすがにもう聞かないなあ、と。吸い上げたら童謡コンピは断腸の思いで処分していくしかない。(合唱団単独名義のやつは捨てないが)
 本で懲りたのに、またCDをこれ以上コレクションし始めたら大変なことになる。実はレコードは少しまた集めてしまって、ヤバイと思っています。しかしCD化されてない音源もたくさんあるんだよなあ。昔買ったやつはもうお宝だから捨てられないし。

 とりあえず、置き場所を決めて、そこからはみ出すようになったら整理、って方式にしていこうと思います。
 この難局をポジティブ思考とユーモアで乗り切るぞ。

 もちろん最近買っている、先鋭的アーティストの皆様のCDは別腹で永久保存っすよ(w)。

アレンジ・リアレンジ

 必要があって、昔のメジャーリリース曲のアレンジの解析を時々行ってますが、聞き流していると判らなくても、詳しくみていくと本当によく出来ていて、先人の仕事は凄いなあ、と感心することばかり。
 実は、この「聞き流す」ってのは、高度なアレンジを施されているからこそ(リスナーが)できるわけで、どこか引っかかったり不自然なところがあったら、聞き流せないんですよね、気になって。いかに自然に、音楽の流れを止めず繋げてゆくか、そして歌の邪魔をせず、歌を最大限盛り立てて聞き手に届けるか、そういうことが全てできているわけです。それが普通に「聞き流せる」曲。

 例えば、先日男女のデュエット曲のアレンジを解析してたら、アルトサックスは女性ボーカルの時だけバックでオブリガート吹いてたりね。男性だと音域が重なりますからね。逆に男性ならソプラノサックスにすべきかもしれない、あるいは重ならないようにする。(思い出したがビリージョエルの「素顔のままで」はアルトサックスだなぁ) しかもうっすらとパンで振ったチェロが鳴っていたり、ちゃんと不足する音域を埋めるような構成になっている。もう達人の技ですわ。

 こういうのは作曲・アレンジの本を見ても載ってるわけじゃなし、楽曲を聴いてノウハウを学んでいくしかない。幸い今はYoutubeもあるし、古い曲のCDだって入手しやすい。あと意外に良いのが、古いEPシングルレコード、オークションやメルカリで出てたりすることもあるのでそれを買っても良い。(当時の雰囲気がジャケットからわかったりする)

 もちろんそのままどんどんテクを盗んでもいいけど、現代の曲ならこれを応用してこうするかなあ、などと考えるのもまた滅茶苦茶楽しいですわ(w)。
 今は高品質サンプリング音源で、事実上古今東西どんな楽器の音でも(非楽器の音でも)使えるわけで、これをDAW内の仮想スタジオで鳴らせる快感。
 もうなんだよ危険なこの底なし沼は、むしろ先陣を切って飛び込みたいぞ(笑)。いや、業界の諸先輩方はとっくに奥深いところまで到達されているわけですが。

 そんな楽しい制作の毎日です。

ガンダムという巨大コンテンツ

 深夜何気なくTV付けたら、NHKでアニメ「ガンダム THE ORIGIN」が流れてて、つい引き込まれてしまう。ちょうど再放送で、1~3話だったかな? 乗り遅れ組への救済策か。最近ドラマもアニメも全然見てなかったが、これは乗っかろうかと。
 時系列的には最初のTVシリーズの前で、シャアがいかにしてシャアになっていったか、辺りから描く話なんですね。ガンダム知らない人には何のことかわからんだろうけど(w)。この最初のシリーズが、もう40年前の放送なんだから、驚くべき息の長いコンテンツです。
 以下、知らない人に無配慮なガンダムネタ続きます。

 若き日のランバ・ラルとハモン(愛人的な?)が出てきたんだが、ハモンはジャズ・シンガーでクラブで歌っていたんですね。ランバラルはそのヒモ&用心棒、ジオン軍を追放されてからそんな生活だったのか。
 このバンドの中にテナー・サックスがいたんですが、この人がどっかで見たことがある感じで、いやこれソニー・ロリンズやないかーい、と(笑)。他には現代風ないかにもバンドマンの方々。演奏シーンは割りとちゃんと動いていたので、ライブアクション(=演奏ビデオを元にアニメを書き起こす)かもしれません。最近はちゃんとバンドのシーンで実際に即した動きになってることが多いですね。

 そこへ悪酔いした連邦軍の不良軍人が絡んきてラルと大立ち回りになるのだが、バンドマンたちが楽器を庇いながら隅に寄る行動がまたリアル。このあたりも、実際にミュージシャンに意見を聞いたのかも? まず楽器庇いますよね、やっぱ。

 大立ち回りといえば、モビルスーツ戦はすべて3DCGなのですが、昔と違ってちゃんと重量感のある動きになってきてて、ほう、かなり見れるようになったなあ、と。このジ・オリジンは人間ドラマ主体でロボットはむしろオマケなので、このあたりも昔と違って面白い。昔のロボットアニメは、玩具メーカーの宣伝のために作られていたんだから。

 音楽ネタ関連だと、しばらく前、やはり深夜にNHKスペシャル・ガンダム1stの秘密的なやつが流れてて、キングレコードの幹部の方が出演されてました、当時のサントラの話。LPレコードで、vol.1はジャケットがいかにも子供向けアニメな感じ、これは数千枚しか売れなかったと(今からするとこれでも凄い数字だけど)。そこでvol.2は安彦良和の描き下ろしジャケ+ポスター付きにしたら、初回だけで10万枚だかの数が出てしまった。実は1の方に主要なBGMはすべて収録してて、2はその残りだったそうですね。音楽的にはそうなのに、そんなことになってしまった。それでキングとしてはアニメに本腰入れるようになったそうです。

 頑張ってリピート見て最新話に追いつくぞ~。

ピンクのデビューアルバム

 また宛先不明が続きます、好きなことしか書かないサイトなので。

 しばらく前からの宿題だった(懸案とも言う?)、ピンク色のデビューアルバム、ようやくしっかり聞かせて頂きました。なんと36年前の作品です。時間が経つのはこんなに早い、まさかこのスケールの時間が自分の人生で普通になるなんて。時にバブル経済真っ只中、日本が一番平和で豊かだった1983年の世界……。

 1曲目を聞いた感想は、まず声がちゃんと出ていない。全体的に固く、歌を歌いきっていない。当時FMで聞いたときと同じ印象でした。とにかくボーカルが縮こまっている。ただこれは、スーパー著名プロデューサーを始め、超豪華ミュージシャンを揃え、20歳だったこのシンガーソングライターさん、さすがに緊張したのだろうな、と思ってました。アレンジも全曲このPさん、素晴らしい、というしかない。全然古びてないし。
 ところが……5曲目から印象が変わりました。あれ?ボーカルがかなり……声がしっかり出てるし、非常に伸びやかです。そのままそんな曲ばかり続き、そして11曲目で終わり。アルバム後半、かなりの力作楽曲が続きます(アレンジも相変わらず凄いが、多分それ以上に楽曲が素晴らしい。どう聞いても完全にパーフェクトなAORだし、歌詞もね(アルバム前半は、アイドルっぽいAORといえるかな?))。

 もしかして、最初は緊張したけど、慣れてきて本調子になったのかな?と思ったのが1周目でした。

 2周目を聞き出した途端、わかりました。これはプロデュース(の結果)だ! 最初の4曲くらいは、アイドルをいわば「演じて」(たぶん正確には「演じさせられて」)いるんだ、と。うひょー、こりゃびっくり。だから声が固い、そりゃそうです、本来の自分の歌声じゃないんだから。当時風にいえば「ぶりっ子」ですね、これはP氏か、あるいはおそらくもっと上からの方針では……。憶測ですよ、憶測ですが、たぶん某アニメから流れてきたファン向けに、こういう「演出」をした。
 当時はまだレコードの時代だったので、A面の4曲はアイドル風AOR+5曲目は本格AORにして、B面に繋げる。B面は5曲を本格AORにして、最後の曲だけまたアイドルAOR、それてA面の頭に繋げる流れ……。たぶんこんな戦略だったのではないでしょうか、だとしたら納得、まあ自分の見方に過ぎませんが。

 昔、メジャーバンド活動をしていた某声優さんの話だと、いわゆる「キャラ声」で歌うのは非常に難しいそうです。声を作ると音域が違ったりして、ベテランでも四苦八苦だそう。まして声優でもない二十歳のアーティストさんには……。こうして、このアルバムの何曲かで声が固い謎が36年振りに解けたのです(笑)(←笑、じゃーねーよw)

 いやー、こうして改めて聞くと素晴らしいですよ、このアルバム。以前キュートAORって書いたけど、それは前半だけですね、後半は完全にハイクオリティなAORっすわ、それこそ世界レベル。
 こんなに素晴らしいデビューアルバムだったのか。もっと早く気付くべきだった。しかし当時からこれAORって言われてたかなあ?、そういう評を見たことがなかったのだけど。やっぱりアイドルシンガーソングライターの……って流れだったと思う。アニメのせいでそう見られていたなら、ある意味不幸だったかも、ぶっちゃけ自分もそんな感じで見てたし。

 後半は歌詞の世界も切ない恋を描いたものが多いし、随分と大人っぽい曲を書く20歳だったのだなぁ……って、これが20歳ってトンデモねーっすわ。実質、18~19で書いた曲もあっただろうし。いやー、改めてガクブルっす。

 確かに、Pさんのアレンジとプロデュースは凄いっすよ、このアルバムの評には、大抵アレンジが良いから高品質な作品になった、というのがあったりしますが、駆け出しながら作家の一人としてこれだけは言いたい。元曲がダメならどんなにアレンジ頑張っても良い曲になりません。それは「華麗なアレンジを施された駄曲」になるだけです。
 万一売れても3年もしたら消えていくでしょう……このアルバム、何度もリマスターされて普通に今もアマゾンで売っています。「In Print」なんですよ。36年前のデビュー作がそのまま普通に買えるアーティストって、日本に何人いますか? それが答えです。
 時間が教えてくれるのは、Pさんのアレンジに「耐える」楽曲揃いだったということです。

 間違いなく80年代のAORを代表する名盤のひとつ、というか80年代音楽のひとつの金字塔といえるでしょう。
 こんなに凄い方だったのか、なんかスイマセンした……(なぜ謝るしw)。

 いやー、36年も経ってから気付くのもかなりアレだが、自分の場合は却って良かったかも。今だからここまで分かった、音楽的にも(楽曲、アレンジ、ミックス)、現代でも通じるヒントが一杯詰まってました。
 ミックスでいえばリバーブがアーリー・デジタルというか、当時の低ビットの感じですごく出てて、カッコイイ。シンセの音のセンスは、もう言うまでもない。
 いやいや、もう大変勉強させて頂きました。
 いつかこれを聞いて、80年代の日本は良かったなぁ、なんてみんな思う日がくるかもしれません、これから斜陽だからw せめて音楽だけは当時に負けないものを作っていきたいですね。

(毎回思うが、こんなことばっか書いてて大丈夫かな…抗議はウケツケマセーン、っておい)

(追記:なんか特に1曲目はそういうディレクションじゃないか(→声を張らない)という気がして再聴。たぶんそうですね…このように音楽の感想を言うのはとても難しい。まだまだ勉強不足、素直に反省)

レコード屋さんの思い出

 誰でもあることだろうけど、定期的に見る夢というものがあり(年に1度とか)、そんななかに、昔家族でやっていた小さな商店の夢、それも閉店間際で引き戸をほぼ閉めている時に、一人店番をしている夢というのがあった。照明も薄暗く、繁華街なのに人通りもなく、灰色でなんとも寂しい夢だが、不思議と懐かしい。この店、バブル時代前後までやってたんだけど、建物の老朽化で取り壊されてしまった。だからもう30年以上前のことなんですね。
 これを思い出したのは、「そういえばあの夢最近見てない」と思ったから(←ややこしいけど)。…というか夢自体を最近見てないが。

 なんでこんなことを書いたかというと、実はこの店の隣がレコード屋さんで、店番の間、ずいぶんと隣から曲が聞こえていたなあ、と。
 戦前からある長屋みたいな建物にずらっと店が入っていて、間口も狭いし扉もない(前面開放)のでそりゃあもうよく聞こえました(w)。

 だから、ここでも歌謡曲やら演歌やら、流行っているものは自動的に聞いてたんですね、偶然なかなか良い音楽環境にいたのかも。
 
 ここの店主が、お袋と同年代でなかなかお綺麗な方でした、今にして思えば昔業界にいたりしたのかなあ?、でも声がキンキン声で、よく隣りから「まぁたこんなレコード持ってきてェ、もっと売れる物持ってきなさいよォ」なんて営業に文句言ってるのが聞こえてました(笑)。
 間口こそ狭いが、場所は超一等地なので、随分と商品は回転させてたと思います、なので強気だったのでしょうね。

 そんな店なので、今でいうインストア・イベントも時々やっていて、といっても商品ぎっちりで場所がないので前の歩道で歌うんだけど、歌手の方が時々来ていたみたい。
 一度見たのは、お名前は覚えてないが女性演歌歌手が着物を着て、自分の写真の立て看板の横で、選挙候補みたいに名前のタスキをかけて歌っていたところ。着替える場所もないので、バンで直接来て、機材も降ろしてそこで歌っていたと思う。

 自分は見てないんだけど、記憶に間違いがなければあの八代亜紀さんも来たことがあるらしい。お袋の話だと、凄い人だかりで全く身動きがとれなかったと、流石に。そして物凄~くキレイだったそう。そりゃそうですよねえ、演歌でバリバリの頃ですね。

 こんな店だったので、前の歩道にいつも立て看板を2~3台は出していて、ここに流行りの曲やらイチ押し曲なんかのポスターもよく張ってありました。宣材は豊富、というかいつも捨てるほどあったらしく、クイーンのポスターも2~3回貰って勉強部屋に貼ってたなあ、そういえば。

 当時アニメ声優をして、それからデビューしたシンガーソングライターさんのアルバムポスターも、立て看板に貼ってあった気がする。このアニメ、ガチで見てました。当時二十歳そこそこで凄いなあと思ったが、自分はもう片方のヒロイン派でしたので(w)(←声優さんにファンレター書いたなあ)。実は、FMラジオで聞いたくらいで、ちゃんと聞いてないのですね、その頃もう自分は洋楽かインストばかり聞いてました。西海岸・東海岸フュージョン、ジャズ、ウェザーリポート、日本なら渡辺貞夫とかカシオペアとか(T)SQUAREとか。

 この店のことで、もっと色々面白い話を思い出したので、また機会があれば書いてみます。