日: 2022年1月9日

楽曲への思い入れ

 今は自分はプロジェクトACTiVATEでオリジナル曲をリリースしているわけですが、音楽的に面白いものを、という縛りの他は、別段テーマもありません。といってもやはりAORとか70s-80sポップスっぽい曲になるかとは思いますが。
 作詞・作曲・編曲からミックス・マスタリングまで全部やって、ボーカルだけは「曲に合う」シンガーさんを毎回見つけてきて、それでお願いしているという形。
 あくまで楽曲が先で、シンガーさんはそれに合った(歌える)人を連れてくるという方式です。(実際ベタ打ちである程度完成したところで人を探し始めることが多い)

 そのせいかどうか、一曲一曲の楽曲への思い入れって、あんまり強くないんですね。常に他の曲を書いて(作って)いるんで、同時並行していることばかりだし、もちろん質的には毎回自分で作れる最高レベルのものですが、もうこの一曲に掛けている……という感じではない。
 このあたりは、もしかしたらシンガーソングライターさんとは違う意識なのかもしれません。ある意味醒めているわけだし、客観視しているというか、レーベル代表としては曲は商材……という視点もあるわけです。(音源=商品なので)

 これが良いことなのか悪いことか……という判断は別にしても、サブスク時代である程度ショートスパンでリリースし続けることが求められるようなって、それは楽曲の海に沈んでしまわないようにするためですが、こういう視点は今はシンガーソングライターさんにも求められているかもしれません。
(というか、ある程度長くやっている人は当然そうなってるんでしょうか……)
 楽曲は楽曲、と割り切ってビシバシとリリースしていく、たぶん過剰な思い入れは必要ない、そんな姿勢が求められている時代だと思っています。
(もちろんこれはヒット狙いの場合で、自分のやりたい音楽を自分のペースで作り続ける……という選択肢はある)

 何かを全否定したりdisったり……という(強い)思いでは、自分は曲は書いてません。もっと建設的な思考かな……曲は曲、なので。(まあ音楽の場合はそれだけはないのがまた複雑なのですが)
 全てとは言いませんが、AORやCITYPOPは「物語の世界」なんですね。つまり職業作詞家が作る歌詞といえばいいか、そういった意味では演歌や歌謡曲とも同じです。少なくとも自分にとってはそう。(そういう分析をする評論家の方も実際います)
 結局のところ、思い入れよりは企画や“作戦”が込められているといえるでしょう。

(上に書いたのは自分のプロジェクトの話で、ご依頼の場合はやはり違って、そちらの方が「思い入れ」主体といえるかも。無論その場合もプロデューサー的視点は必要になりますが)