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「見つけて群馬」配信開始

 先日こちらでPVをご紹介したご当地ソング「見つけて群馬」ですが、主要各配信サイトで配信が始まりました。

アーティストページ
https://www.tunecore.co.jp/artist/Hikari-maoji

 気鋭の新人演歌歌手「ヒカリ真王子(まおじ)」さんの熱唱が光るコミカル曲です。ソフトで甘いハートフルボイスでの演歌は、現代的で稀有な存在感です。
 これからぐんぐん活躍されていく方なので、いまヒカリ真王子さんのファンになっておくとおトクですよ。どんどん階段を駆け上がっていくところをリアルタイムで体験できます。こちらの奥様方や、そちらのお嬢様方も、いかがでしょうか。

メロ作りの苦労

 歌物を書き始めて意外だったのは、メロディとは結構人工的に作らなければならないものなのだ、ということ。何となく、ふとした瞬間に一曲分のメロディが全て無意識に出てくるじゃないか、と普通の人は思いがち。ところが違う(まあ世の中にはそんな作家もいるかとは思いますが)。ふと浮かぶとしてもそれはワンフレーズだけだったりして、そこから発展させるのは(再度の霊感はあるにせよ)結構人工的な作り方をしないといけなかったりする。そうしないと、類型的だったり陳腐なメロディになることが多いです。
 自然なメロで、適度に意外性もあり、印象に残り美しい。曲調によって元気だったりアンニュイだったり跳びはねたり……そういうところも満足させないといけない。なので、どうしてもある部分は計算しつつ人工的作っていきます。むしろ大変は感覚的に作るんですが(w)。
 そして何度もプレイバックして、歌詞と合っているかも確認する。(メロのせいで歌詞が滅茶苦茶変なイントネーションになったら最低だしね)

 以上は、メジャースケールだったりマイナースケールの曲の場合の苦労。
 ここでチャーチモード・スケールのメロを書こうとすると、今度は近隣(?)のメジャー&マイナースケールに引っ張られないよう、細心の注意を払って作らないといけない、という苦労も付加される。うかうかしているとすぐ引っ張られますね、やはり誰でもそれに一番慣れているから。特性音をちりばめつつ、また歌詞を睨んで不自然なイントネーションにならないよう、主音を外さないよう作っていく様は、まさに人工メロディ(笑)。インストだったらここまで苦労しないだろうけど……歌物だと歌詞に加えて、歌唱可能音域の問題も出てくるので。

 まあ、こういう風に書くとかなりの苦役に思えるかもしれませんが、実際はメロ作っている時は楽しいもんです。
 なんのかんのいって、インスピレーションは一番大事。結局そこか(w)。

唱歌と童謡

 童謡はもちろん作詞・作曲者がいて、著作権保護の対象ですが、いわゆる唱歌(文部省唱歌、いまなら文科省?)はパブリックドメインの扱いらしいですね、国が音楽教育のために依頼して作ったものなので。といっても童謡も著作権保護期間がきれたものがたくさんありますが。
 で、唱歌や童謡を聞いていて思うことは、これは旋律(メロディ)の音楽なのだな、ということです。アレンジどうこうというものではなく、簡単な伴奏だけでも成り立ってしまうし(それほどメロにも詩にも力がある)、そういう風に作られている。学校などで、不慣れな先生でも簡単に伴奏できるように作曲してあるし、子供にも簡単に歌えるように、譜割りも難しいものはない。(だから、作曲は案外難しいのですよ、これだけ縛りがあると似たメロも出来やすいし)。

 ちょっと戻るけど、今残っている唱歌で、そもそも作詞作曲者がはっきりしないものもたくさんある。当時はそれほど著作権意識って作り手にもなかったのですね、楽譜なんかも勝手に第三者が出版してしまう状態だったらしいし(w)。楽譜が出れば名誉だろ、くらいの感覚だったのかもしれない。

 で、まあ、唱歌・童謡も、普段歌わないアーティストさんが歌うと、その方の日本人としてのルーツに触れた気がして、これはなかなか良いものなのですね。旋律の音楽だから、ってのもある。今のPOPミュージックはそうじゃないものね。(ラップは旋律というより、台詞だと思う)。

 余談、明治~昭和初期に政府が国の事業として唱歌をたくさん作ったのですが、今残っているものはともかく、当時は酷い出来のものもどうもたくさんあったらしい。
 それに怒ったのが当時の心ある文学者・鈴木三重吉で、このままでは日本の子供達が可哀想だ、というので創刊したのが名高い児童文学雑誌「赤い鳥」(創刊号巻頭は芥川龍之介)。童謡(今で言えばマルチメディア展開)も同時に創作していったことから、ここ発で今スタンダードになっている曲が山のようにあります。これが一大文学運動・童話童謡ブームに繋がったのですが、宮澤賢治も実はこのブームの中にいて創作を始めた、と言ってよいと思います。
 まあこういう人が本物の「国士」だよなあ、有言実行だし。後期は戦時体制の陰が色濃くなり、お上の干渉を防ぐのに苦労したらしい。賢治の詩がこの雑誌で没になったのも、どうもそのせいだったとのこと(載せてしまうと検閲のきっかけになるので)。
 それはともかく、賢治作詞・作曲の「星めぐりの歌」は傑作ですね。昔行った花巻駅前で夕方に流れていたなあ。

深夜三時の詩作/試作

 「オラ・ンダ」

ひとつになった世界が
ひとつの厄災で沈んでゆく
街の灯はおずおずと消え
黒いビルの群れが沈黙する

ぎらり見計らって
君は激情をぶつけてくるか
くすぐったい/懐かしい/いじらしい
不埒な概念しか持てない僕は
すでに悠々と失格の席

    (もっとあの子を映したら)

燃えさかる情念から
遥か三千里の岸
汗も涙も枯れ果てて
ただひとつの音楽は
治らない疫病

    (もっとあの子を映したら)

そんな男は捨ておいて
君は心の信ずる道をゆけ
それが世界と音楽へ
最良の導きだから

これはきっと歌詞にならない
僕のたおやかな正義
Ora Orade Sitori Ikun’da

    (あの子に世界も優しくあれ)

面白ソングの系譜

 今少し思っていることをつらつらと。昔は面白ソング系の歌がいくつかあって、確固たる市民権を得ていたと思うが、今はほぼ消えてしまったなあ、と。いわゆるコミックソングではなく、発想がコミカルで面白い歌ですね。それでいて真面目なテーマを歌っていたりして、一粒で二度オイシイ的な。こういうのは邦楽だと歌謡曲とか、ムード歌謡にはよくあったと思います。洋楽だと、具体例としては……うーん、あんまいい例ではないかもしれんが、J・ガイルズ・バンドのCENTERFOLDとかね。ビートルズのLSDのやつとか銀の斧とか、まあすぐ思いつくだけで幾つかある。
 いまのJ-POPは非常にシリアスで、生真面目になりすぎている感はあるかもしれません。ポピュラー音楽はエンタメだね、ってところを忘れかけている気がする。

 で、まあ、配信でとある曲を聞いたらこの面白ソングだったので感心した、って話なのですが。これってセンスいるよな、って思う。一歩間違うとただの悪ふざけになっちゃうし。
 実はこれ、プロトタイプを聞いたときは、あんまり買ってなかったのですね。これだと芸人さんだよなあ、なんて失礼なことを思っていた(笑)。ところが、ちゃんとプロデューサーさんが引き受けて仕上げると、これが見事にセンスのいい面白ソングになっていて驚いたと、そういう話なのですよ(w)。やっぱりどんな優秀なシンガーソングライターさんでもプロデュースは必要だなあ、って思った。(自分で出来る人はいいのですが、一般的に自分を客観視するのは難しいと思う)
 心が裸になっている歌は、やっぱり聞き手に色々と刺さりますね。

 あっ、面白ソングはほぼ専門にやっている方々もみえますね、しかも売れているし。とすると、あんまり心配する必要もないってわけか(w)。
(去年、自分も面白ソングを書かせて貰いました←リリース済)

 こういうのは歌詞も難しい、悪ふざけになったり、逆に説教っぽく?なったりしないよう、歌詞も「音」であることがわかっている必要がある、実際作詞してるときは考えてませんが、これは音・語呂が悪いなって言葉は避けるもんね。

 POPSはエンタメ、ってところは、いつも忘れないようしていたいと思います。

記事公開停止のお知らせ

 実は、まだ残っている昔のseesaaにあったブログの記事を、3から4本だったか、公開停止にしました(削除はしていない)。音楽系の記事で、しばらく前から気になっていたものだけです。5年以上前のものだったと思います。

 というのは、この何年かで、自分の立場が大きく変わってしまってですね、昔は純然たる音楽ファンでありリスナーだったわけです。音楽界とは無関係ですよね(=素人)。ボカロ曲書いてるようなうちはまだ良かったのですが、こうして曲がりなりにも作曲家という立場になって、業界の片隅に足を踏み入れさせてもらってですね、そうするとインサイダーですから、アーティストやミュージシャンをはじめ業界の皆様方について、気軽にあれこれ言うのはどうか……という感じになってしまった。全員雲の上の大先輩ばかりですから。もう立場が180度違ってしまったのですね。それで、素人時代に書いていたことで、今インサイダーとしては拙いなこの書き方は……という記事があって。それをサスペンドしたってことです。
(呼称ひとつにしても、リスナーとしてはあまり気軽に**さんなんて言うのも馴れ馴れしくて変だが、インサイダーとしては絶対「さん」付けですからね)

 そんなこんなで、昔からこのブログを読んでいるような方(そんな暇な人いるのかなあ?w)ならその辺り分かって貰えるだろうけど、最近ここを知って、万一過去の方に遡った方は、「こいつ駆け出しの癖になんで大先輩をこんな風に書いてるんだ」なんて思われるかもしれませんし、誤解や失礼があってはいけないと思い、遅まきながらこうした処置にしたってことです。また悪いことに(?)、元ライターだったので面白おかしく書いている箇所があるのですわ。特にそれが酷いと思われる記事、3~4本です。
 くどい説明ですが、これが理由です。修正で済まそうとかとも思いましたが、それも色々差しさわりがありそうなので、思い切って。ライター専業だったら、まずこんなことはしないけど、今は音楽制作をしているので、気を遣っています。

(その割には最近も色々書いてるじゃないかって?……これでも最大限配慮しているのです、まあ苦情は受け付けますが)(汗)

 それで、その苦情の件。公開停止にしてけしからんじゃないか、というクレームは受け付けますが、関係者の方からのみとさせて頂きます(汗)。……まさか読んでないと思いますが……万一、消すなという方が見えましたら、お詫び&事情説明とともに復活させますので。

 どうも最近、このブログは結構読まれている感触があり、特に業界のごく一部で話題になっているという風の噂(毒電波ともいう)がチラホラ……。
 こりゃ昔の書き込みで拙いのがあったなと思ってて、ようやく対策しましたということです。

 噂は事実じゃないと思いますが、もし、もしですよ?読んでいるアーティストやミュージシャンの方が見えましたら、こんなブログ見て暇つぶししてちゃダメっすよ。日本の、いや世界の音楽シーンを前進させる活動にぜひ戻って下さいね。

 ふいーぃ、これでようやく肩の荷がひとつ降りた。今後も堅実に、着実に、1曲1曲心に響く曲を書いてまいります。業界の皆様、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

(追記:更に10件ほど公開停止。これホント冷や汗ものですわ…)

無名詩人と無名青年の話

 以前から書こうと思っていた宮澤賢治とある文学青年のこと、忘れないうちに。

 賢治が生前刊行した唯一の詩集『春と修羅』ですが、全く売れなかったことがよく知られています。自費出版だったのですが、本屋に並べてもらったものの、後にドサッと返本されてきて、賢治は相当ヘコんでいたとか。無名の新人なので仕方ないのですが、それにしても見事なまでに世間は無反応だった。
 知人や宮澤家ゆかりの人に献本もしていたのですが、そのお礼状が残っていて、「『春と修養』というご本、有難うございました」なんて書いてあって、どうやら健康本だと思われていたとか(笑)。一度も開いてないのですよねえ、まあ献本なんて大抵そんなもんだ(←お、類似経験あり?)。

 ただ、そんな一般読者の(無)反応とは裏腹に、実は「プロ筋」には、意外にもこの『春と修羅』は高い評価を得ていたのですね。
 まず当時新進気鋭の詩人だった草野心平がこの詩集を読んで才能に驚き、すぐさま自分の同人誌に参加するよう手紙を送っています。(実際、賢治は同人になった)
 そのときの草野の感想が、「この人は見慣れない科学用語を使っているが、それが象嵌細工のようなものでなく、生活の言葉のようになっている」で、もうウヘッって感じですわ、なんで一発で賢治の本質を見抜くのか。今日のように賢治研究が進んだあとの知見を、作品を一読しただけで見抜いてしまう。詩人・草野の洞察力恐るべしといったところです。
 さらに、当時の児童文学、そして新作童謡の巨大ムーブメントの震源地、雑誌『赤い鳥』の鈴木三重吉の目にも止まり、実際後に原稿依頼がきます(ただし事情で作品は没になった)。

 ここまででも、実はとんでもないことだ、というのは今から考えてもわかりますよね? 草野がダメな詩人を勧誘なんてしませんし、創刊号の巻頭作が芥川龍之介だった『赤い鳥』から原稿依頼がくるんだから、「おれSUGEEEE」ってなっても不思議ではないのに、どうも賢治はそれほどでもなかったらしい。さすがに赤い鳥のことは喜んだが、没になったことで、「ああやはり自分はダメなのだ」と落ち込んでいたとのこと。不思議な話です。あの顔の雰囲気からやはり、ネガティブ思考だったのか?(w)

 もしかすると、作家仲間やプロ筋からより、一般読者に読んでもらって評価して欲しい、という気持ちが大きかったのかもしれません。

 ここでもう一人、『春と修羅』を手に取り、これまたその内容に衝撃を受け、何冊も購入して友人にまで配ったという、賢治が聞いたら飛び上がって喜んだだろう行動をした、ある文学青年がいました。というか、まだ少年といった歳かなぁ、17歳くらいなので。
 賢治も無名、彼も無名でしたが、そんなことはもちろん関係なかった、彼にとって賢治作品の価値は明白でした。いくら詩集に感激したからといって、普通は友人にまで配りませんから、賢治作品に心酔し、大きな影響を受けたといっても過言ではないでしょう。

 彼もまた文学を志しており、数年後文壇でめきめきと頭角を現してその名を世間で知られるようになります。その人の名は中原中也。そう、あの「汚れちまった悲しみに」の詩人です。
 よりによって、ですよ、無名時代の賢治をこれまた少年時代の中也が発見し、激賞していたのですよ。どれだけアンテナが高いの?そしてどんだけ鋭いの?って話です。キレキレの詩人って本当にコワい。

 賢治の訃報を聞いたとき、中也は詩人として身を立てたあとでしたが、とても気の毒に思ったそうです。あれほどの人が世間から評価されず、志半ばで倒れたのですから。それで、あちこちで賢治のことを喋ったり書いたりしたのですね。
 これは草野も同じで、むしろ自分のところの同人ですから、やはりこんなに素晴らしい詩人がいた、ということを紹介して回った。

 これでようやく世間が賢治を認識し、「じゃあ読んでみるべ」ってなり、それで「あっ、本当に凄い」→超絶大ブレーク、ですよ。
 なんせ戦前にすでに2回全集が編まれ、「風の又三郎」なんて映画まで作られました。いやどれだけ人気出とんねん。皮肉な話です、賢治ほど「金もいらなきゃ女もいらぬ、わたしゃも少し人気が欲しい」って人はいなかったんだから(w)。
 だから、わかる人にはわかるのだなあ、ってことなのですね。中也と賢治は面識はなく、草野も賢治とは手紙のやりとりだけだった。それで突然の訃報に余計驚いたというわけ。

 なぜ賢治作品はあれほど素晴らしかったのに、当時世間には受け入れられなかったのか。実はこれは中也も不思議だったらしく、なんと賢治全集に寄せた文章が残っています。これ、青空文庫やKindleで読めるんだけど、以下引用。

 私にはこれら彼の作品が、大正十三年頃、つまり「春と修羅」が出た頃に認められなかつたといふことは、むしろ不思議である。私がこの本を初めて知つたのは大正十四年の暮であつたかその翌年の初めであつたか、とまれ寒い頃であつた。由来この書は私の愛読書となつた。何冊か買つて、友人の所へ持つて行つたのであつた。
 彼が認められること余りに遅かつたのは、広告不充分のためであらうか。彼が東京に住んでゐなかつたためであらうか。詩人として以外に、職業、つまり教職にあつたためであらうか。所謂文壇交游がなかつたためであらうか。それともそれ等の事情の取合せに因つてであらうか。多分その何れかであり又、何れかの取合せの故でもあらう。要するに不思議な運命のそれ自体単純にして、それを織成す無限に複雑な因子の離合の間に、今や我々に既に分つたことは、宮沢賢治は死後間もなく認めらるるに至つたといふことである。
「宮沢賢治全集」(中原中也)より

 ということで、中也さえわからないそうなので、今から僕らがいくら考えてもわかりっこない。ただ一箇所だけ、賢治が文壇にいなかったから、というのは、大きな理由かもしれない、横のつながりがないってことだから。もし詩壇のつきあいがあったら、赤い鳥に没を食らっても、宮澤君そんなことでしょげるなよ、なんていう人がいたかもしれない(まあ、賢治はいかにも文壇付き合いしなさそうだけど)。

 文士同士で飲んだりとか、そんなこととは程遠い人でしたからね。(Wikipediaによると、中也は太宰と飲んで、議論でやり込めて泣かしていたらしい。太宰は太宰で、中也が亡くなったあと、あんな奴だったが亡くなると惜しい、なんて言ってたとかw すげーコンビだなこれ、しかし事実か?←出典みたら小説になってるぞ、眉唾)

 中也ももちろん、30歳という若さで夭折しますが、もし生きていたら草野心平のように、生涯に渡って宮澤賢治の紹介・研究につとめたかもしれません。

 とにかく詩人の、世界を透過するような視線、本質を見抜く洞察力、これは凄いなあ、自分も見倣いたいなあ、と思ってしまいますね。

曲作りの周辺

 お陰様で、確定申告が全然終らないうちから、本業でなぜか繁忙期が来てしまい、目の回るような忙しさ。ところが、こんな時に限って曲想も湧くんだなあ、これが。で、スキマの時間にちょこちょこ曲を書いていたりするんですが、これが結構捗るのです。考えたら、一日中音楽制作ばかりやっていたら、こんなに曲は書けないかもしれない、少なくとも自分は。オン・オフの切り替えがあったのほうが、うまく行くようです。

 実家にヤマハのポータトーン(というと、ミニ鍵盤を思い浮かべがちだが、あの系列は廃版で、今は標準鍵盤の家庭用キーボード)の普及機が置いてあって、これでスマホの音声メモのメロから、音を探ってキーも決めて……って作業をちょくちょくやってます。これは半自動伴奏やリズムパターンも入ったりとか、音色も弦・菅・シンセまで網羅してて(アコーディオンも一応ある)、プリプロダクション的なテストには持ってこい。といってもアレンジまではやらないが、決め打ちリズムマシンが入ってますからね。
 とはいえ、さすがに最近は耳が肥えてきたので、こいつのピアノの音はきっつい(笑)、デジタル丸出しなので(他の音も強烈チープ)。まあ価格が価格なので、贅沢はいえない。この系列で最上級が実売6万位だったかな?買い換えたいが、高級機は操作系が複雑になるからなあ。
 結構プロの作曲勢の皆様も愛用者が多いのでは? ヤマハだからやっぱり作りもしっかりしてますよ、しかも軽い。
(自分のメインキーボードはRolandのFA-06)

 歌詞を書くときは、スマホのメモに書くことが多かったが、最近のマイブームは100円ショップで買ったメモ帳。これに書くと変換の手間が省けるから、すらすら書ける。変換ミスでイライラすることもない。欠点は急いで書くと字が汚くてあとで読みづらいこと(笑)。やっぱり、一覧性は電子メモより紙ですね、自分は手書きの暖かさ~どうこう、は一切気にしないタイプだけど。

 最近は、自分の生きてきた時間を思うことがちょくちょく、音楽制作でほんと人生が大きく変わりましたからね。普通に若くして結婚してたりすれば(僕らの時代は、まだ若い時に結婚、がギリ普通だった)、もう成人した子供がいるような歳ですから。下手をすると、孫……って歳にもなりつつある(汗)。健康には気を付けたいですねえ、この歳になってわかるのはホント健康は大切。若い時に無茶しすぎると、歳食ってからガタガタッといくから。養生養生、鍛錬鍛錬。

 そんな毎日です。(花粉の飛散が始まる前に、なんとか確定申告終わらせたい…)

皆様へご挨拶

 今まで様々な自己紹介などで「音楽クリエイター」と書いてお茶を濁してきましたが、どうやらそんな風ではいけない段階に来ているようで、ちゃんと「作曲家」と名乗ることにしました。

 一応、最初の言い方にも利点はあって、作曲から作詞から編曲からミックスダウン・マスタリングまでやってるので、これが一番実態に近いのですが、世間一般ではやはり通じない。
 何が一番通りがいいかといったら、やはり「作曲家」。いまは編曲だったり、その後の工程も担当するようなイメージが出来てきつつありますからね。
 作詞もやるんだけど、これはやっぱり兼ねている方も多い。だから業界では「作家」とも言ったりするが、これだと普通は物書きかと思われてしまう。(ややこしいことに、自分は元ライターだったりもするんですが)

 で、以前、インディーズバンド向けに英語歌詞を書かせて頂いた時に、漢字でのお名前を教えてくださいと言われて、お伝えしたのが「弦央昭良(げんおう・あきよし)」。
 これは最近も聞かれてお伝えしたおり、変えておりません。それでそろそろ、ローマ字表記からこの漢字表記に統一しようと思っています。
 というか、この一文を上げると同時に、サイト上の表記も変える。

 これはペンネームですが、ご依頼を頂いた方には、必要に応じて本名もお伝えすることにしています。最後まで成果物の責任を取りますよ、ということです。クライアントさんも、どこの誰に発注したのかわからないとなれば、危なくておいそれと曲を使えないですからね。実名は最強の身元保証でもありますから。

 フリーの作曲家というか、インディーズ作曲家というか、パッケージですべて担当できる、ネット時代の面白い存在といえば、それはそうなんでしょうか。

 ということで、これを機会に一層精進していく所存です、気合いを入れて「作曲家」の名に恥じぬよう、制作に励んで参ります。
 皆さま今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

弦央昭良