日: 2018年12月17日

「シンガーソングライター」を超えて

 最近思っていること。一口に「シンガーソングライター」と言いますが、実はその範疇からはみ出すような活動をしている方々がいて、新しい呼称や概念が必要じゃないかなあ、ということ。
 たとえばシンガーソングライターと聞いて、世間が思い浮かべるイメージは、ピアノやギターを弾きつつ、自作の歌を歌う人のことでしょう。名前の通りだから、これで合ってますね。

 ここで、ソロの弾き語りでなくバンドがバックについた場合、そこにはアレンジという作業が介在してくるわけです。この場合大抵は、専門のアレンジャーに発注されるわけですね(バンドマスター(=バンバス)が兼ねていることも多々ある)。
 この段階ですでに、シンガーソングライター個人の範疇を超える作業が発生しています。世に出回っている彼ら/彼女らの曲は、実はアレンジャーとの合作ともいえるわけです。メロと歌詞だけでは曲になりませんから。

 ところが世の中には、このアレンジも自分でやってしまうシンガーソングライターがいて、こうなると普通より一段深いところまで音楽をコントロールし、創造しているわけです。専業がいるようなアレンジまで自分でやってしまうのだから、普通より高度な音楽制作といえると思います。

 このレベルの人は、プレイヤーも自分のお気に入りを連れてきて、ミキシングもオキニのスタジオのエンジニアに頼み、さらにマスタリングも……となると、もうこれは何段にもハードルが上がって、パッケージとしての楽曲の全てをコントールし、表現の場としているわけですよ。

 シンガーソングライターといっても、前者のようにほんとうに歌の作詞・作曲しかやらない方と、後者のように全ての段階にコミットしていく方の2種類いるわけで、後者のほうを同じシンガーソングライターと呼ぶのは、どうかな、という話です。
(別に前者が一般的に劣っていると言いたいわけでないので、念の為)

 後者の場合、もう「シンガーソング・マイスター」なり、「シンガーソング・プロデューサー」と呼ぶべきですよね。こういう方は、実は内外問わずAORの分野等にたくさんいます。楽曲のすべての音が表現領域なので、メロや歌詞だけでなくアレンジやサウンドまで含めて聞かないと、本当にはその曲を理解したことになりません。(当然、リスナーにもかなりの音楽リテラシーみたいなものが要求される)

 で、なんで今回こんなことを回りくどく書いているかというと。

 先日ここにちょっと書いた大先達の曲が、Youtubeにご本人が責任を持つ形で上がっていてまして、早速聞いてみたら……サウンドが全然違ってて、全く別の曲に聞こえまして、「あーこれは”1曲目”で正解だわ」と、まあしっかり痛い目に遭った、という話なのですわ(お約束)。
 いわんこっちゃない(笑)。

 いやいやいや、あのときはストリーミング酷かったですよ、中低域から低域にかけてベチャっと音が潰れてて、ステレオイメージもぐちゃぐちゃだったし、それでいて変にバスドラの音だけはっきり聞こえたりね。
 やっぱり想定外のエンコーディングが施される配信なりストリーミングは音楽にとって鬼門ですね、特にこういうサウンド全てをコントールしているアーティストさんにとっては。この方はまさに、シンガーソングプロデューサーそのものですから。
 まあそもそも、アーティストさんが渾身の表現をこめてリリースした曲を、ちょっと聞いたくらいで感想を言おうなんて、無茶な話なのですわ(言い訳見苦しいなあw)。

 大変お優しい、心の広い方だと伺っていますので、たぶん許してくださるんじゃないかな……だといいな(冷汗)、とかね。そもそも音楽聞いて感想を言うって怖いっすからね、それによって自分の音楽力みたいなものも、見抜かれてしまいます。経験豊かな音楽家の洞察力は、そりゃ凄いもんがありますから。

 結論:近々CDを入手します。